先日の記事の続き。ヨーロッパが中国を抜いて世界の先進国になった「大分岐」の主役が、その端にあった小国イギリスだったことは、考えてみれば不思議である。教科書では、それは「市民革命」による民主主義や「産業革命」による資本主義の発達の必然的な結果だと教えるが、最近の歴史研究の結論は違う。
巨大な陸海軍、勤勉な行政官、重税と莫大な債務。これらの条件を備えたイギリス固有の財政=軍事国家は、ヨーロッパの戦争にこの国が参戦したことによって必然的に誕生したわけではない。むしろ1688年の名誉革命後のイギリス国家を襲った政治的危機がもたらした、意図せざる結果であった。意図して実現されたわけではないのに、政府に生じたこの変化は永続することになった。(『財政=軍事国家の衝撃』p.257)
当時ヨーロッパ最大の強国は、フランスだった。その人口も面積もイギリスの4倍以上であり、軍事力でみてもフランス軍の12万人に対して、イギリス軍はわずか1万5000人だった。フランスのルイ14世が、名誉革命で追放されたジェームズ2世を擁してイギリスに戦いを挑んだとき、敗北すればイギリスはフランスの領土になる運命だった。

しかしイギリスはこの9年戦争に勝ち、その後の200年以上(アメリカ独立戦争を除けば)大英帝国は戦争に勝ち続けた。それは彼らが「軍国主義」だったからではなく、その逆である。国内には戦争をいやがる地方のジェントルマンが多く、彼らが議会の多数を占めて増税に歯止めをかけた。そのため国王は巨額の国債で軍事費を調達せざるをえず、政府債務のGDP比は2倍を超えたが、シティの金融市場が全欧から資金を調達した。

行政官の数もフランスのほうがはるかに多かったが、それは彼らの強みではなく弱みだった。莫大な財政赤字をまかなうために売官制度が発達し、国王は官職を売って軍事費を調達した。17世紀末には5万もの官職が創設され、彼らは私的に徴税したり賄賂を取ったりした。イギリスでは金融市場でファイナンスされた軍事費が、フランスでは「官職市場」でファイナンスされたのだ。

このように腐敗したルイ王朝は国民の支持を失い、税の徴収率が落ちてさらに売官が増える…という悪循環に陥って財政は破綻し、フランス革命をもたらした。それに比べてイギリス人が特に優秀だったわけでもないが、土地と金融資産をもつジェントルマン層が国王とつねに対立したことが、結果的に立憲主義によるアカウンタブルな政府を生み出した。

こうみると大英帝国の奇蹟は多分に時の運であり、17世紀までに大陸諸国が戦争の連続で疲弊し、財政が破綻した時代に島国で孤立していた幸運が大きい。彼らはその強大な海軍力で植民地支配を拡大し、世界を制覇した。これも18~19世紀だけの幸運であり、20世紀には植民地支配の収益率はマイナスになった。その時代に朝鮮から満州に支配を拡大した日本は、200年遅かったのである。