先日の記事の続き。シュミットの「独裁かアナーキーか」という二律背反は普遍的で、近代社会では克服が困難だが、ゲーム理論で考えると解決策がある(きわめてテクニカル)。
Gibbard-Satterthwaiteは「支配戦略遂行」のメカニズムだが、これを「ナッシュ遂行」に弱めると、民主的に選好を集計できる条件が理論的には存在する。これがマスキン単調性である。これは「一つの状態である結果が選ばれるとき、状態が変化しても選好順序が変わらなければ同じ結果が選ばれる」という条件だ。

これは抽象的でわかりにくいが、一例として(弱)パレート効率性を考えよう。一つの状態から別の状態に変わってもパレート効率性を保てば選好順序は変わらないので、パレート効率的な選択ルールはマスキン単調である。したがってマスキンの有名な定理の系として、パレート効率的な結果をナッシュ均衡として実現するメカニズムが存在する。

一般には、そういうメカニズムは複雑で実用にならない。最大の問題は全員の選好を全員が知っていなければならないという条件で、人数が増えると自分の選好を社会のすべての人に報告することは不可能だ。しかし人々が長期間おなじ環境に住んでいて互いの選好をよく知っている場合には、話し合いでパレート効率的な結果を実現することも可能である。

ゲーム理論の言葉でいえば、互いの選好を知らない支配戦略では合理的な社会的選択ルールは独裁しかないが、互いの選好を知っている(あるいは選好が同質である)場合には、人々の選好を調整すれば、整合的な意思決定をナッシュ均衡として民主的に実現できる。この場合、利害の対立する(パレート改善できない)問題は先送りする。

これが伝統的社会のルールである。このような共有知識を確認する手段として、神話や宗教が使われたと考えられる。人々が何を信じているかは重要ではなく、同じことを信じていることが重要なのだ。レヴィ=ストロースが示したように、一つの部族の中で神話的な選好順序は厳格に共有され、「神話素」は変わっても構造は変わらない。

レヴィ=ストロースは、この構造が代数系になっていることを示そうとした。今日ではこの結論は疑わしいとされているが、さまざまな記号を選好順序が保存されるように変換することは重要だ。逆にいうと、そういう選好順序が共有される「閉じた社会」でしか、民主的な社会秩序は維持できない。「開かれた社会」では、何らかの意味の独裁は避けられない。