きのうの読書塾でかなり説明したが、やはりむずかしいようなので補足(ほとんどの人は読む必要がない)。
シュミットのいう独裁の必然性は、経済学の社会的選択理論でもよく知られている。次の例はコンドルセの逆説と呼ばれる有名なケースで、3人の投票者がそれぞれA、B、Cの3人の候補者を次のように順序づけているとする。

 投票者1: A>B>C
 投票者2: B>C>A
 投票者3: C>A>B

この中から、多数決で1人の候補を選んでみよう。AとBを比べると、投票者1と3にとってはA>Bで2にとっては逆だから、多数決でAが選ばれる。BとCで多数決をとると、1と2がB>Cで3だけが逆だからBが選ばれる。したがって遷移律からA>Cとなるはずだが、AとCで多数決をとるとC>Aなので、選好順序が循環してしまう。

このように多数決で決めると、勝者が決まらない例は簡単につくれる。これを一般化したのがアロウの一般不可能性定理で、それをゲーム理論で証明したのがGibbard-Satterthwaite定理である。3人以上の投票者について、人々が投票で合理的に選択するルールは独裁しかないという定理が成り立つ。

ここで「合理的」とは、人々の選好が整合的で、嘘をついて結果を変えられないことである(strategy-proofと呼ばれる)。上の例では、1と2が「私はBよりCが好きだ」と嘘をつくと、全員にとってC>Bなので(点数をつけると)Cがベストの選択になる。厳密な証明はメカニズムデザインの教科書を読んでほしい。

ここで1の決定がつねに他の人に優先する独裁にすれば、A>B>Cという彼の選択が社会全体の意思決定になる。独裁的という言葉を文字通りに受け取る必要はなく、たとえば安倍晋三氏が首相の座にあるときは、彼の決定が内閣の決定になる。このとき首相には嘘をつくインセンティブがなく、他の閣僚は何をいっても結果は変わらないので嘘をつかない。首相の選好は整合的なので、内閣の意思決定も整合的になる。

この定理にはたくさん変種があるが、上のような結果は変わらない。要するに多様な社会では、合理的な意思決定ルールは独裁しかないのだ。シュミットのいったように、近代国家は何も決められないアナーキズムか、一人がすべてを決める独裁のどちらかに行き着くのである。

これはそれほど悲観的な結果ではなく、橋下徹氏もいうように彼の決定を好まない人は次の選挙で落とせばいい。都市なら、引っ越せばいい。このようなexitによるガバナンスで、合理的な民主的選択は可能である。