洪思翊中将の処刑〈上〉 (ちくま文庫)
何度も書いたが、意外に多くの人が錯覚しているのであらためて書いておこう。1910年から45年まで、朝鮮半島は日本の領土だった。したがって韓国人は第2次大戦の被害者ではなく加害者である

ウィキペディアによれば兵士の定員に対して50倍以上が志願し、合計24万人の朝鮮人が戦地におもむいた。だから中国人はともかく、韓国人が靖国参拝を批判するのは筋違いである。そこには彼らの祖先もまつられているからだ。
山本七平の描いた洪思翊中将も、靖国にまつられている「英霊」の一人である。彼は(朝鮮籍の)日本人として中国軍と戦い、南方で終戦を迎えてB級戦犯として処刑された。彼は陸軍士官学校を卒業して朝鮮人としては異例の中将まで昇進し、部下を集めた就任演説で「私は朝鮮人であるが、天皇陛下の命により今日からこの中隊を預る」とのべたという。彼が創氏改名しなかったのも当時は異例だったが、創氏改名が強制ではなかった証拠である。

彼の容疑は南方方面軍の兵站監部総監として捕虜に食料を十分あたえなかったという捕虜虐待だったが、本書が詳細な裁判記録で明らかにしているように彼は無実だった。これは冤罪だとして助命運動が起こったが、彼は法廷では沈黙を守った。

その理由は彼の口からは語られなかったが、BC級戦犯裁判も東京裁判と同じく政治的儀式であり、それが公平に行なわれることは期待できないと達観していたのだろうか。それともクリスチャンだった彼は、イエスのように朝鮮人兵士の罪をあがなうために処刑されたのだろうか。