さっきちょっとメモのつもりで書いた記事が「そうだったのか!」と意外な反響を呼んでいるので、基本的な歴史のおさらいをしておこう。これは右とか左とか関係ない事実である。
「中韓」とか「侵略戦争」というように第二次大戦を一くくりにするのが間違いのもとで、当時の中国は日本の敵国だったが、朝鮮は日本の領土だった。若い世代にはこれが感覚的にわかりにくい(戦中生まれの籾井氏も知らない)と思うが、自国を侵略することはできない。だから第二次大戦で、日本は韓国を侵略していないのだ。

ではなぜ韓国(大韓帝国)は日本の領土になったのか。これを1910年の日韓併合で語るのは間違いで、そのときすでに大韓帝国は日本の保護国になっていたので、実質的な違いはない。いいかえると日韓併合がなくても韓国は日本の支配下にあり、日本でも伊藤博文は当初は併合に反対していた(コストがかかるから)。

では第2次日韓協約で韓国が保護国になった1905年はどうか。このとき韓国統監府ができ、これが朝鮮半島の(大韓帝国を超える)最高意思決定機関となったが、これは日露戦争の結果、ポーツマス条約で日本の支配権が追認されたもので、侵略とはいえない。日露戦争では、朝鮮半島は戦場にならなかった。すでに日本の実効支配が確立していたからだ。

では1895年の下関条約はどうか。これは日清戦争で日本と李氏朝鮮の連合軍が東学党の乱を鎮圧して独立を守った結果で、少なくとも李氏朝鮮にとっては日本は友軍であり、侵略とはいえない。李氏朝鮮を属国のままにしておきたかった中国(清)にとっては既得権の侵害だったかもしれないが、これはどっちの属国になるかの問題で、侵略とはいえない。

――とさかのぼっていくと、韓国人のいう「日帝の侵略」も「独立戦争」も見当たらない。ソウル大学教授の李榮薫氏の教科書もこう書いている。
一揆の波は1860年代からさらに大きく膨れ上がり、これが1894年の東学党の乱においてクライマックスに達しました。その過程で、李朝の政治的な統制力はみるみる弱まりました。私は東学党の乱の1894年に前後して、李朝は事実上の死に体だったと考えています。何か外部からの強い衝撃があったからというわけではありません。すでに19世紀の初めからそのような方向への変化が進行していたのです。(p.65)
そもそも、この時期には侵略という言葉もなかった。これは1928年の不戦条約で定められた「国際紛争の解決手段として戦争に訴えない」というルールの違反、つまり他国の領土の侵犯や先制攻撃などをさすものだが、これ以前には侵略という概念がないので、テクニカルにはどんな戦争も侵略(国際法違反)ではない。

不戦条約以降に行なわれた満州事変や日中戦争については侵略だという議論もありうるが、朝鮮半島についてはそもそも侵略という概念のない時代の話で、実質的にも武力で他国の政権を打倒して領土を占領するという意味の侵略は行なわれていないのだ。これは韓国でも、李教授のような知識人は知っている(が政治的に危険なのでいえない)。

日本が韓国を武力で支配したことは事実であり、それは彼らにとっては屈辱だろう。しかしそれはイギリスの大規模な植民地支配や、アメリカの4000万人にのぼる奴隷貿易に比べれば紳士的だった。日本が朝鮮を支配しなければロシアが(そしてソ連が)支配しただろうし、ここを起点にして世界大戦が起こっても不思議ではなかった。

太平洋戦争を「侵略戦争」と規定するのは、それをアジア解放のための「大東亜戦争」と規定するのと同様に誤りである。世界大戦には多様で複雑な要因があり、日韓関係はその一つにすぎない。