インディアスの破壊についての簡潔な報告 (岩波文庫)
ケネディ大使はアメリカ大陸の歴史をご存じないようだから、貴重な一次資料を紹介しよう。本書はドミニコ修道会の宣教師が1552年に発表した現地報告である。英訳もあるので、大使館の職員が大使に教えて、イルカ漁とどっちが残虐か考えてほしい。
キリスト教徒は馬にまたがり、剣と槍を構え、インディオを相手に前代未聞の殺戮や残虐な振る舞いにひたり始めた。彼らは村々に闖入し、子供や老人だけでなく、身重な女性や産後間もない女性までも、見つけ次第、その腹を切り裂き、体をズタズタに切り刻んだ。
キリスト教徒はインディオの身体を一刀両断にしたり、一太刀で首を斬り落としたり、内蔵を破裂させたりしてその腕を競い合い、それを賭け事にして楽しんだ。母親から乳飲み子を奪い取り、その子の足をつかんで岩に頭を叩きつけたキリスト教徒たちもいた。また、大笑いしながらふざけて、乳飲み子を仰向けに川へ投げ落とし、乳飲み子が川に落ちると、「畜生、まだばたばたしてやがる」と叫んだ者達もいれば、嬰児を母親もろとも剣で突き刺したキリスト教徒たちもいた。

足がようやく地面につくくらいの高さの大きな絞首台を組み立て、こともあろうに、我らが救世主と12名の使徒を称え崇めるためだと言って、インディオを13人ずつ一組にして絞首台に吊り下げ、足元に薪を置き、それに火をつけ、彼らを焼き殺したキリスト教徒たちもいた(図)。(pp.36-7)


ラス・カサスは殺された原住民の数を1200~1500万人と推定したが、現在では累計で1億人近いと推定されている。この残虐行為は「キリスト教徒」がその宗教的信念で行なったことが重要だ。彼らは「大笑い」したり、12使徒になぞらえたりして虐殺を楽しんでおり、それを「非人道的」な行為だとは考えていなかった。

彼らもケネディ大使と同じく、人間(およびそれに近いイルカ)は殺してはいけないが、インディオは人間ではないと考えていたのだ。ラス・カサスは「インディオも人間である」ことを証明するために彼らの生活をくわしく記述しているが、当時これに賛成したのはモンテーニュぐらいだった(『エセ-』第31章)。

それどころか20世紀になっても、アメリカ人は西部劇で「インディアン」を虐殺する侵略者を英雄として描いた。彼らにとっては、インディアンはイルカ以下の動物だったのだろう。このようにためらいなく異民族を殺せる正義となったことが、キリスト教が世界宗教になった最大の原因である。

それは植民地支配を支える普遍主義だったが、普遍主義が普遍を生み出すとは限らない。多くの場合、それは特定の文化の独善を他国に押しつける結果になる。ここで大事なのは、ラス・カサスが描いているように、キリスト教徒が「神の導き」で新大陸を征服していると考えたことだ。

いくら戦力があっても、大義のない戦いは長続きしない。キリスト教は、このように戦争を正当化するイデオロギーとして近代国家を支えてきたのだ。キリスト教徒の多いアメリカが戦争をしょっちゅう起こすのは、このためだ。その原因が、ケネディ大使のように白人に近い生物だけを仲間とみなす「ヒューマニズム」なのである。