疫病と世界史 上 (中公文庫 マ 10-1)
2000万人以上の人口を擁するアステカ帝国に、スペインから来たコルテスが到着したとき、彼の軍勢は600人しかいなかった。それが1年足らずの間にアステカを征服し、人口は1割ほどに激減した。この原因は戦争ではなく、天然痘だった。複雑な文化が混じって多くの病原菌をもつヨーロッパ人の身体は、世界最強の「兵器」だったのである。

疫病は戦争と同じぐらい、人類の歴史に大きな影響を及ぼした。仏教やキリスト教など、現世の苦難を説明する宗教が流行したのは、戦争や疫病の多い地域だった。インドをアーリア人が征服したとき、南東部には疫病が多すぎるため、彼らを賤民として隔離したことが、カースト制の確立した原因だった。
仏教とキリスト教は3~9世紀の中国とローマ帝国で成長した。これはこの二つの文明圏で疫病が流行して人口増加がほとんどなかった時期に対応する。身近な人が突然死亡し、自分もいつ同じ運命になるかわからず、その原因もわからない不条理が、こうした救済型の宗教をはぐくむ基盤だった。

その後、中国では宋代以降、合理的な官僚制度が発達して人口が増加し、仏教は衰えたが、キリスト教は疫病の西への広がりとともにヨーロッパに広がり、黒死病の流行した14世紀以降に爆発的に流行した。疫病をなおす手段がない時代には、いつ訪れるかわからない死に意味を与え、それによって天に召されると考えるキリスト教は、強力な救済手段だった。

中世にカトリック教会は成熟し、トマス・アクィナスのように思弁的で複雑な教義が発達したが、それは黒死病の苛酷な現実の前には無力だった。誰が疫病で死ぬかは神があらかじめ決めた運命だというルターやカルヴァンの宿命論が説得力をもち、聖書に帰れというプロテスタントの単純な教えが人々を魅了した。

著者は病原菌による感染をミクロ寄生と呼び、植民地などによる人間の支配をマクロ寄生と呼ぶが、ヨーロッパ人はマクロ寄生においても史上最強だった。キリスト教の不寛容は激しい宗教戦争をもたらし、そこで生き残った国家は大砲や爆弾などの重火器で武装し、それを支える経済力で競争した。そこから生まれたのが資本主義である。

資本主義もキリスト教と同じ普遍主義で、疫病のように世界に広がった。それは黒死病のように宿主を殺してしまうのではなく、植民地に寄生して富を宗主国に吸い上げるマクロ寄生を生み出した。資本主義は政教分離によって国家と市民社会の水平分業を実現し、ウォーラーステインのいうように世界のどこの国でも「包摂」できるシステムになったのだ。

この意味でキリスト教も資本主義も、地球上のあらゆる国家にマクロ寄生し、コピーを最大化する「利己的な遺伝子」のようなものである。だから資本主義がいいか悪いかを論じるのは、キリスト教と仏教のどっちがいいかを論じるのと同じように意味がない。著者もいうように、人類そのものが地球の生態系にとって最大の疫病だからである。