産経新聞のサンプル版が郵便受けに入っていたので、めったに読まない紙の新聞を読んだ。相変わらずだなと思ったのは、産経抄の「NHKが『大東亜戦争』を『太平洋戦争』と変えることを強要した」という話だ。このコラムはこれを「偏向だ」と憤るのだが、そんなことを言ったら産経以外の新聞も教科書もすべて偏向だ。これは放送用語の統一の問題にすぎない。
いつも朝日新聞がおもしろいのでからかっているが、彼らのマーケティングの対象は団塊世代の60代後半以降だ。それに対して産経のターゲットは戦中派の70代後半以降で、マーケティング的には不利だ。彼らは「保守主義」を自称しているが、バークのように伝統と慣習を重んじることを保守主義と考えると、保守は産経ではなく朝日である。なぜなら戦後70年近く続く新憲法が、戦後の伝統だからである。

産経がこだわる「大東亜戦争」は、明治国家のナショナリズムである。これを彼らは日本の伝統と信じ込んでいるのだが、あいにく主権国家は明治時代に西洋から輸入した制度だ。江戸時代の日本人には、国家という意識さえなかった。天皇制も伝統ではなく、福田恆存が指摘したように、ナショナリズムをつくるための「偶像」だった。産経を初めとする右派が守ろうとしているのは日本の伝統ではなく、戦中派のルサンチマンなのだ。

日本の左派と右派はこのように団塊vs戦中派という(紙の新聞の購読者の中での)マーケティングの対立であって、本来の意味でのイデオロギー対立ではない。右とか左とかいうからややこしいので、朝日新聞を「戦後レジーム」を維持する保守と考え、それに対して産経などの右派が「戦前レジーム」の復古を掲げて闘っていると考えればわかりやすい。

こういう対立は、50代以下の世代にとってはバカバカしいだろう。日本に伝統と呼べるものがあるとすれば、それは明治憲法や新憲法のような輸入品ではなく、丸山眞男が「古層」と呼んだ古代以来の伝統ではないか。それは近代化によって消えたようにみえるが、驚くほど強く現代社会に根を張っている。この伝統を自覚し、それを保守するのか変えるのかを考えることが、本当の日本人の問題だと思う。