イエスとその時代 (岩波新書)
12月25日がイエスの誕生日だというのは、聖書のどこにも書いてない。これは民俗信仰の冬至の祭である。新約聖書の冒頭にはイエスの父ヨセフがダビデの子孫だという系図が書かれているが、イエスは処女懐胎で生まれたのだから、父親が誰の子孫だろうと意味がない。イエスは自分を「神の子」とも「キリスト」とも呼んだことがない。

・・・などイエスについての伝説はさまざまで互いに矛盾するものも多く、ほとんど信用できない。本書は聖書を教典としてではなく史料として読む「史的イエス」の研究成果を解説したものだ。学生のころ読んで、教会の説教とはまったく違う新鮮なイエス像に感動した経験がある。今は絶版だが、文庫化して多くの人に読んでほしい名著である。
イエスについてわかっている史実は、紀元前4年ごろナザレに生まれ、ガリラヤを拠点として説教を続け、30歳ぐらいのときエルサレムに出てきて、神殿を壊そうとして逮捕され、十字架にかかって処刑されたことぐらいだ。その活動期間は1~3年程度と推定され、彼に帰せられる言葉伝承がどこまで彼自身のものかはわからない。

しかし共観福音書などの資料を詳細に検討した結果、浮かび上がってくるイエスの像は、パウロなどが神格化した「キリスト」ではなく、当時のユダヤ教の律法主義を批判して、貧しい人々や差別される人々を救おうとした一人の伝道者である。「山上の垂訓」と呼ばれる言葉はかなり信憑性の高い伝承だが、そこでイエスは次のように語る。
「隣人を愛し、敵を憎め」と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。(マタイ第5章43~44節)
イエスはこのように逆説や皮肉を多用し、ユダヤ教を批判する。神は世界に唯一のはずなのに、「パリサイ人」は隣人と敵を区別する。神の前にはすべての人々は同じはずなのに、律法によって特権を与えられた階級と、そこから排除された「地の民」がいる。そしてユダヤ人は異民族を排除し、神殿をつくって偶像や供え物をまつっている。

このように普遍的な神への信仰がローカルな律法によって「ユダヤ人の宗教」に堕落したことにイエスは怒り、言葉や行動で当時のユダヤ教を批判したのだ。しかしそれはローマ帝国によって国家への反逆とみなされ、政治犯の処刑方法である十字架にかけられた。

イエスが発したメッセージは、ユダヤ人の他民族に対する不寛容を否定し、神の前にすべての人類は平等だというラディカルな寛容の教えだった。これがのちに初期の教団がローマ帝国に布教するとき、強い武器になった。それまでの宗教はすべて特定の民族に依存するものだったが、イエスは初めて世界のすべての人のための宗教を創造したのだ。

彼の「もっとも不幸な人が最初に天国に入る」という苦難の神義論は、多くの不幸な人々の心をとらえた。この世のすべての秩序はむなしく、天にいる神だけを信じて祈れば天国に行けるという単純な教えは、字の読めない人々にも広く普及し、戦乱や疫病の時代にキリスト教は急成長した。

こうした言葉が本当にイエスのものなのか、それともパウロなどの初期教団が教義に合わせて創作したものかはわからない。聖書の順序とは逆に、福音書はパウロの手紙のあと教義をわかりやすく伝える「歴史小説」としてできたものだ。ただイエスが貧しい人々の中に入って彼らのために語り、ユダヤ教の律法を超えた普遍的な救済を志向したことは、おそらく事実だろう。

しかしパウロはそれを「人類の罪を背負って十字架にかかった」という教義に変え、イエスを「神の子」とした。これはローマ帝国の神々に対抗して布教するマーケティングとしては正解だったが、そこに見られる「イエス・キリスト」は、彼の実像とはまったく違うものだ。イエスは何よりもそういう神格化をきらう人だったのである。

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