さっきの記事のおまけ。小泉氏の話は論争を発展させるかと思ったら、2年前のくだらない論争に引き戻すだけだった。彼の話の致命的な欠陥は「原発ゼロか推進か」というナンセンスなアジェンダ設定で議論していることだ。
本当の問題は、直接コストも環境リスクも内部化した社会的コストを最小化することだ。もちろんすべてのコストを計算することはむずかしいので、ある程度ブレークダウンして考える必要がある。そのうち原子力のコストについては工学的にはいろいろな研究があり、関係者にも一定のコンセンサスがある。それは大型軽水炉には未来がないということだ。

この点について反対派の中で唯一いいところを突いているのが、ウルリヒ・ベックの指摘だ。軽水炉には炉心溶融が工学的に避けられないという致命的な欠陥があり、このリスクは大型になればなるほど大きくなる。これまで日本では、地震による配管の破断を想定してきたが、今回の津波のようにそのフレーミングを裏切る事故はまた起こりうる。

いくら既知の原因への対策をしても、「想定外」の可能性は必ず残る。今度は飛行機が落ちるかも知れないし、テロリストが侵入するかも知れない。このようにメタレベルのリスクを想定しても、メタメタレベルのテールリスクは残る。このような再帰的なリスクは、定義によって避けられない。

こういう問題をどう解決するかは、経済学でもまだよくわからないのだが、タレブが提案するのは、最悪の場合の損害を最小化するminmax原理である。これに従うと、最悪の場合の損害が大きい大型軽水炉は望ましくない。テールリスクについては平均や分散は意味をもたないので、「何万炉年に1度」というIAEAのリスク管理はグリーンスパンが金融危機のリスクを軽視したのと同じ誤りだ。

Minmax原理で考えると、軽水炉よりも小型のIFRやSMRやTWRがまさる。もちろんIFRにも放射能もれなどのリスクはあるが、炉心溶融は原理的に起こりえないので、被害は限定される。問題は採算性だが、小型にしても部品をモジュール化して大量生産すれば、軽水炉より安くなる(はずだ)。

ただ、こうした第4世代の原子炉が実用化するまでには10年以上かかる。「夢のエネルギー」といわれた高速増殖炉が挫折したように、想定外の障害が出てくるおそれも強い。当面は軽水炉をなるべく息長く使いながら、次世代の原子炉を研究するしかないだろう。軽水炉の変動費は圧倒的に安いので、当面は火力にまさる。

もう一つの考え方は、軽水炉の出力を下げることだ。原理的には、冷却水が抜けて核燃料が瞬時に溶融した最悪の場合でも、出力が小さければ圧力容器の中で止めることができる。しかしこれは軽水炉の最大のメリットである経済性を犠牲にすることになり、火力との競争に耐えられるのかという問題が出てくる。いくらでも安全性を高めることはできるが、最後はコストの問題なのだ。

資源の長期的な利用効率を考えると、有限な化石燃料を大量に燃やす火力発電はきわめて非効率で、廃棄物を大気中に放出する環境リスクも大きい。廃棄物が少なく、クローズドに完結する原子力のほうがリスクは小さい。最終的には、こういうリスクを数値化して社会的コストの最小化を考えるしかないが、そういう冷静なアジェンダ設定をするには、小泉氏のような幼稚な議論はじゃまだ。