朝日新聞に出た松井彰彦氏の記事が話題になっている。「5年で無期雇用にしろ」という規制のおかげで、大学の非常勤の研究員も5年で雇い止めしなければならない。規制を強化しても役所の思った通りにはならない、という(私も含めて)多くの経済学者が指摘している改正労働契約法の問題点だ。
ところがこれに、昔なつかしい濱口桂一郎氏が「経済学者の意識せざるウソ」だと噛みついた。例によって無内容な労働法トリビアだが、要は判例では「メンバーシップ」を守ることになっているが、実定法は「ジョブ型」だから、今度の改正は5年を超えて雇う非正社員を「ジョブ型正社員」にするのが厚労省の意図だという。

So what?

役所がそう意図したら、みんなその通りやるのかね。それなら「交通事故は禁止する」という規制をすれば交通事故はなくなり、「解雇は禁止する」という規制をしたら失業はなくなるだろう。そう行かないのは、人々は法律によって行動を決めるのではなく、自分のインセンティブで行動しているからだ。

5年を超える非正社員を禁止したら「ジョブ型正社員」にするのではなく、いま大学の非常勤講師で起こっているように、5年で雇い止めされるに決まっている。こんなことは小学生でもわかるのに、それがわからない人物が(姥捨山とはいえ)厚労省の一角にいるのは困ったものだ。

きのうも議論したように法の支配は、役所にも理解されていない。お上が決めたら民はその立法意図に従うべきだという思想は、大陸の法治主義であり、丸山眞男も指摘するように英米系の法の支配とは似て非なるものだ。派遣社員の規制強化は、彼らの意図とは逆に、もっと不安定なパート・アルバイトを増やしただけだ。

日本の雇用慣行は、資本主義の原則であるオーナーシップではなく、長期的関係によるメンバーシップにもとづいている。これは資本市場や社会的規範など多くの要因と補完的になっているので、一片の法律で変えることはできない。ゲーム理論の言葉でいえば、メンバーシップは一つのナッシュ均衡なので、自分だけが抜けると損するからだ。

オーナーシップもナッシュ均衡だが、どっちが望ましいかは先験的にはわからない。一般的には、ローカルな部族社会ではメンバーシップ型が多いが、これはメンバーが固定していないと機能しないので、人口の流動的な「大きな社会」では、企業は資本の所有権にもとづくオーナーシップで統治する。これが資本主義である。

しかし日本の企業は、タコツボから逃げられないようにする退出障壁でメンバーを固定し、長期的関係を守ってきた。これは一時はうまく行ったが、労働者の移動が困難なので、グローバル化の中で機能しなくなっている。雇用しやすくするには、解雇しやすくするしかないのだ。

ところが厚労省は、正社員の既得権を守ったまま、非正社員の地位を向上させる「いいとこ取り」をしようとして、失敗を繰り返してきた。メンバーシップは補完的なシステムなので、判例を立法で上書きして解雇ルールを明文化し、「正社員」という概念を廃止してオーナーシップ型の資本主義に変えるしかないのだ。

以上のことは今まで何度も書いたが、私のオリジナルではない。新古典派経済学の元祖であるカール・メンガーが、市場経済では人々は個人的利益を追求するので、政府が市場に介入しても意図せざる結果が生じる、と論じているのだ。それを経済学者に指摘されても「判例と実定法は違う」などという法技術論で揚げ足を取るような官僚がいるかぎり、日本の非正社員は救われない。