「思想」としての大塚史学―戦後啓蒙と日本現代史
マルクスの人気はすっかりなくなったが、ウェーバーの人気はなぜか日本では衰えない。「大学教師が学生にすすめる本」として、いまだに『プロ倫』がトップになったりするが、これは少なくとも歴史研究としては古文書であり、バーマンのような最近の研究書では脚注に出てくる程度である。

日本でウェーバー研究の元祖となった大塚久雄もいまだに「近代化論」の巨匠とされるが、本書は彼が戦争に協力した事実を明らかにする。彼の1943年の論文では、フランクリンの労働倫理について「生産力の拡充を招来することによつて、結果として全体の福祉に貢献し、而して此の貢献に於いて自らの倫理性を証明する」ものだとして、全体(国家・公共)への奉仕を強調している。
ここには国家総動員体制のために「生産力」の拡充を求める「時局的」な配慮がみられるが、60年代に発表された改訂版ではこの部分は削除され、最高の道徳は「隣人愛」、労働の倫理は「市場経済」の倫理とされている。この程度の時局迎合的な表現は、それほど糾弾すべきことでもないだろうが、1935年の論文では
ユダヤ人のうちに、かの「寄生的」(非生産的)な営利「慾」が純粋培養に近い姿で見出される事は、ヒットラーをまつ迄もなく、すでにウェーバーが、むしろ彼こそが、強調して止まなかったところである(強調は引用者)
とウェーバーをヒトラーと同一視し、ユダヤ人差別を肯定している。このユダヤ人=高利貸しというイメージがヒトラーの反ユダヤ主義の本質であるばかりでなく、これは大塚史学の根本概念である「前期的資本」と関連するだけに深刻である。

大塚は、権力者に寄生して流通過程で利鞘をかせぐ商人を「前期的資本」として否定し、そのような資本は世界各地に遍在したが、自立した資本主義を生み出さなかったとする。それに対して、みずから生産する「自立した小生産者」だけが封建領主に依存しない「局地的市場圏」を生み出し、近代社会の中心となったという。

しかしブローデルやウォーラーステイン以降の歴史研究では、西洋の資本主義が世界を制覇できた原因は、それが国家権力と一体になった略奪的な「前期的資本」だったためだとしている。中国は、その気になれば15世紀には東南アジアからインド洋一帯を植民地にできたが、しなかった。国内に資源が十分あったからだ。

しかし戦争と疫病で疲弊した西洋は、新大陸を搾取して得た富で東洋の植民地支配を行なった。それが産業資本主義の「本源的蓄積」となったのである。大塚の表現でいえば、資本主義はすべて「ユダヤ的」であり、それが金融資本に限らず、あらゆる営利活動につきまとう「いかがわしさ」の原因だ。その点で、戦争で得た超過利潤が近代資本主義の原資になったという(大塚の軽蔑する)ゾンバルトのほうが正しいのかもしれない。

もう一つの疑問は、カルヴィニズムの性格である。ウェーバーも大塚もカルヴァンの神政政治を近代社会の起源として賞賛したが、最近の研究では彼のジュネーブ統治はきわめて独裁的だったとされる。逆にいうと、カルヴィニズムは「倫理」によって成長したのではなく、その戦闘集団としての団結力で宗教戦争に勝ち抜き、ヨーロッパ北部を制覇したのだ。

そしてバーマンも指摘するように、プロテスタンティズムが近代社会に貢献したとすれば、こうした規律社会を実現した点にある。フーコーもいうように、近代の株式会社や公教育は軍隊をモデルとしたものであり、このような規律が近代社会の効率性の源泉なのだ。

この意味で近代の資本主義は、大塚の理想とした「自立した市民」によってではなく、むしろ「軍隊的に組織された労働者」によって可能になったのであり、そのインフラを提供したのは新大陸やアジアから略奪してきた前期的資本だった。彼の信じていた「よい資本主義」は、日本人の西洋へのあこがれを歴史に投影した幻想だったのである。