最近クルーグマンがブログで、フリードマンをしつこく批判している。バーナンキはFriedman-Schwartzに強い影響を受け、FRBが十分マネーサプライを供給すれば大不況から脱出できると信じて何回もQEをやったが、結局だめだったじゃないか。やっぱりゼロ金利では、ケインズ的な財政政策が正解なんだよ――というわけだ。
これは経済学的には正しい。きょう出たGDP速報値でも、最大の貢献をしたのは公的資本形成の0.8%増だ。GDPを増やすという目的に限っていえば、量的緩和なんて2階から目薬をさすようなもので、バラマキ財政しかないのだ。

しかし問題は「景気対策」に意味があるのか、ということだ。フリードマンは「オーストリア学派のような清算主義は間違いで、金融政策で大恐慌は防げる」と主張した。ではそのオーストリア学派(その代表はハイエク)は清算主義だったのか?

私が昔のブログ記事で紹介したように、そもそもフーバー政権のメロン財務長官が“Liquidate labor, liquidate stocks...”と主張した記録はない。これはのちに批判を受けたフーバーが(当時は死去していた)メロンに責任を押しつけたもので、清算主義なんて主張した人はいなかったのだ。

クルーグマンはハイエクが清算主義だったと言って、彼の"Prices and Production"(PDF)を引用している。たしかに彼が30年代に有効な不況対策を打ち出せなかったことは事実だが、彼はいろいろな政策を検討した結論として、20年代の好況期に積み上がった過剰設備が解消するまでは「景気対策」で事態は改善できないと書いたのだ。事実、この本の出た1931年から10年近く大恐慌は続いた。

これは今のアメリカにもいえることで、FRBが過剰設備を一時的にQEで埋めても、それをやめようとしただけで世界中がパニックになる。クルーグマンのいうように政府が1兆ドル近いバラマキをやったら、財政はめちゃくちゃになるだろう。まして日本のように「デフレ脱却」などという無意味な目的のために200兆円以上も日銀券をばらまくのはバカげている。

現状が望ましくないと認めることと、それを一発で直せる魔法の杖があると主張することは別だ。残念ながら、過剰設備や過剰人員が残っている限り不況は続く。それを根本的に是正するには、過剰な生産要素を時間をかけて流動化(mobilize)するしかない――というハイエクの処方箋は、あまり一般受けしないだろうが間違ってはいないのだ。