アベノミクスの幻想: 日本経済に「魔法の杖」はないこれまでブログや「アゴラ」やコラムで書いてきた安倍政権の経済政策についての論評に大幅に手を入れ、経済学的にまとめた本を来週(9日)、東洋経済から出す。アマゾンでは予約受け付けが始まった。

池尾さんの『連続講義・デフレと経済政策』はやや上級者向けだが、本書は金融政策に限らず、ビジネスマンにも読めるようにデータをたくさん入れて具体的にやさしく書いた入門書である。序文と目次を紹介しておこう。
はじめに

2013年の参議院選挙は、自民・公明の与党の圧勝に終わり、久しぶりに「ねじれ国会」が解消された。その最大の功労者は、よくも悪くも斬新な経済政策で日本経済に久々に活気を取り戻した安倍晋三首相だろう。彼の「日銀には輪転機をぐるぐる回して無制限にお札を刷ってもらう」という発言は、インフレによって日本経済が劇的に回復するという期待を多くの人にもたせた。

またちょうど日本銀行の白川方明総裁が交替する時期にあたっていたため、安倍氏は積極的な金融緩和を主張する黒田東彦氏(元財務官)を総裁に任命し、彼が「2年でマネタリーベース(日銀券の量)を2倍にして2%のインフレを実現する」と宣言した心理的効果も大きかった。

株価は2012年11月に衆議院が解散された直後から急速に上がり始め、2013年5月22日には日経平均株価は1万5627円と半年で8割も上昇した。ドル/円レートも100円を超え、不動産などの資産価格も上がり始めた。輸出企業は大幅増益となり、2013年1~3月期の実質成長率は年率4.1%となった。

このように日本人が元気を取り戻したのはいいのだが、気分だけでは景気は長続きしない。5月下旬には株価は暴落して日経平均は1万2000円台まで下がり、その後は一進一退の動きが続いている。他方で為替だけは、1ドル=100円を超えて円安がじりじりと進行し、貿易赤字が増えている。他方、1~3月期の消費者物価指数(生鮮食品・エネルギー価格を除く)は依然として-0.4%のデフレだ。

このような安倍氏の奇妙な経済政策を、メディアは「アベノミクス」と呼ぶようになった。これは1980年代の米レーガン大統領の経済政策「レーガノミクス」をもじったものだろうが、これは次の「3本の矢」からなっているとされる。
  1. 大胆な金融政策
  2. 機動的な財政政策
  3. 民間投資を喚起する成長戦略
特に今までの政権と違うのは「第1の矢」とされる金融政策である。黒田総裁は「国債などのリスク資産を大量に買って長期金利を低下させる」という方針を出したが、一方で「2年後に2%のインフレを実現する」というこれと矛盾する数値目標を出した。結果的には長期金利は上がり、市場は混乱した。

まだ安倍内閣が発足して1年足らずなので即断はできないが、おおむねいえるのは、かつて安倍氏や黒田氏が「日銀はやるべきことをやっていない」とか「緩和の手段はいくらでもある」などと勇ましい言葉で白川前総裁を攻撃した割には、彼らの「大胆な金融政策」には大した効果が見られないということだ。

レーガノミクスも、当初は大幅な減税で財政赤字を拡大したり高金利で失業が増えたりして評判がよくなかったが、結果的にはそれまでの「大きな政府」路線から、政府が民間の経済活動に介入しない方針に転換した。これによってアメリカ経済は復調し、90年代にはIT産業で世界をリードするようになった。レーガノミクスは、同時にイギリスで始まったサッチャー首相の経済政策とともに、歴史を変えたということができよう。

ではアベノミクスは、歴史を変えることができるだろうか。現時点で暫定的に評価すれば、今までうつむいていた日本人の気分が明るくなったのはいいが、今のところこの心理的な効果以外には日本経済が本質的に改善した兆しはみられない。「第2の矢」である財政政策は在来型の公共事業で財政赤字を拡大しただけで、「第3の矢」の成長戦略は何も中身がない。

アベノミクスはよくいって空回りで、悪くすると財政破綻のリスクを増加させかねない。株価は上がったが長期金利も上がり、住宅ローンや長期プライムレート(優遇貸出金利)も輸入物価も上がり始めた。安倍氏は金融政策に過大な期待をかけているようだが、日銀が成長率を上げることはできない。日本経済の抱える問題を一挙に解決する「魔法の杖」はないのだ。


目次

第1章 アベノミクスは偽薬である
 円安は「日本売り」
 株高・円安の主役は外資系ファンド
 無責任なインフレ政策
 円安はいいことか
 輸入インフレのリスク
 もう貿易立国には戻れない
 デフレの何が悪いのか
 不況とデフレを取り違える人々
 「デフレギャップ」は存在するのか
 日銀がエルピーダをつぶしたのか

ECONOMIX 日米の量的緩和には効果がなかった

第2章 「黒田バズーカ」の逆噴射
 「異次元緩和」の衝撃
 非伝統的金融政策のリスク
 アクセルとブレーキを同時に踏んだ
 中央銀行は長期金利をコントロールできない
 中央銀行は「期待」を操作できない
 時間軸政策というイノベーション
 出口戦略なき緩和
 金融政策決定会合の大本営発表
 黒田将軍の「インパール作戦」
 本当の目的は財政ファイナンス
 中央銀行の独立性はなぜ重要か

ECONOMIX クルーグマンの「流動性の罠」

第3章 デフレの正体はグローバル化だ
 貨幣数量説の亡霊
 リフレは宗教である
 ゾンビ経済学
 株高でインフレは起こらない
 金融政策で雇用を増やすことはできない
 デフレの原因は賃下げだ
 グローバルな圧力が賃下げをもたらす
 年功序列の終焉

ECONOMIX マイナス金利

第4章 金融危機が財政危機を呼ぶ
 異次元緩和のテールリスク
 「国債バブル」が崩壊するとき
 金利リスクが上昇してきた
 増税なしで財政は再建できるのか
 財政インフレのリスク
 安倍首相のモラルハザード
 小さな変動の抑圧が大きな危機を招く
 民主主義の生み出す非対称性
 「安楽死」かハイパーインフレか
 マルクスの予言
 80年代バブルの教訓
 バブルは再発するか

ECONOMIX テールリスクとオプション性

第5章 成長戦略より雇用改革
 骨抜きになった成長戦略
 労働人口の減少にどう対応するか
 雇用のミスマッチがデフレをもたらす
 雇用のミスマッチを解消する2つの方法
 日本企業はみんな「ブラック企業」
 労働者の会社からの自立
 エリートがヨコに動ける社会を

ECONOMIX 生産性格差デフレ

第6章 日本経済の再生に何が必要か
 エネルギー制約の除去
 貯蓄超過という慢性病
 日本型経営者資本主義の限界
 企業の新陳代謝が足りない
 大事なのは人的資本
 企業の劣化が大学を劣化させる
 成長戦略としてのT P P
 「攻めの農業」に転じるための関税撤廃
 都市への人口集中が必要だ
 主権国家から都市国家へ

ECONOMIX 北欧モデルはまねられるか