リオリエント 〔アジア時代のグローバル・エコノミー〕中国やインドなどを「新興国」と呼ぶのは間違いである。著者も指摘するように、文明の規模においても水準においても富においても、18世紀まで歴史の大部分で世界の最先進国は中国であり、西洋がその地位を奪ったのはここ250年ぐらいのことにすぎない。そしてその束の間の優位も、もしかすると終わり、世界の中心は再びオリエントに戻りつつあるのかもしれない(それが題名の意味)。

問題は、なぜその中国が先進国の座を西洋に奪われたのかということだが、これについて著者は、かつて共同研究者でもあったウォーラーステインの近代世界システム論を「ヨーロッパ中心主義」として否定する。貨幣流通を媒介にした世界システムは古代からあり、その中心は中国やインドやオスマンなどの世界帝国だった。それらの複数の中心をつなぐ交易ルートも図のように確立していた。
それに対して「長い16世紀」に生まれた世界経済システムとしての西洋が覇権を奪った、とウォーラーステインは考えるが、それは資本主義がすぐれたシステムだったからではなく、近代科学のおかげでもない。中国には西洋よりはるかに高度な市場経済があり、技術も発達していた。平和で税率も低く、国家としても安定していた。

西洋が逆転できた最初の原因は、中国の成熟と没落だったという。これはコンドラチェフ的な長期波動で、17世紀の明末期には、国家も経済も長い平和の中で官僚機構が硬直化してエネルギーを失い、満州族の清に滅ぼされてしまった。この弱体化した世界システムの空白を埋めたのが西洋だった。

その最大の要因は新大陸からの略奪だった、というのが本書の重要な主張である。これはポメランツなどの実証的な成果にもとづいており、世界通貨として流通していた銀を新大陸で奴隷を使って低コストで大量に採掘し、それによって中国やインドの富を手に入れたことが「逆転」の最大の原因だったという。

それまで西洋が東洋に勝てなかった一つの原因は、人口が少なく賃金が高いことだった。この点で低賃金で労働集約的に生産する東洋の勤勉革命のほうが多数派だったのだが、西洋は石炭などの新しいエネルギーと新大陸から奪った資源で産業革命を起こし、これが高い成長率をもたらして19世紀には東洋を逆転した。

これは「資源一元論」ともいうべき説明で、統治機構や文化的要因を捨象していることには批判もあるが、東洋文明が西洋文明より劣っていたから負けたのだ、という類の説明よりも実証的根拠はある。アリギはこれを中国の平和な市場経済によるスミス的発展に対して、富を求めて戦争を繰り返す西洋のマルクス的発展が勝利を収めた、と表現している。

長期波動というのはあまり科学的な説明にみえないが、どんな文明も勃興期にはイノベーションが起こって成長し、成熟すると既得権を守る官僚機構が肥大化して蓄積した富を食いつぶす、という波動が100~200年ごとに起こると考えると、現在が西洋中心の近代世界システムの終焉の時期だというウォーラーステインの説とも一致する。

日本で起こっている財政危機とデフレと低金利は、コンドラチェフの「B局面」(衰退期)の典型的な症状であり、欧米もその後を追っているようにみえる。ただオリエントに覇権が戻るとしても、その中心となる中国はまだ政治的にも経済的にも脆弱で、いろいろな不安を抱えている。日本は「終わる西洋文明」と「再興するリオリエント」をつなぐ絶好の位置にいるのだが、「最大の課題はデフレ脱却だ」とか言っている政権には、この問題は見えてもいない。