今週のメルマガにも書いたことだが、リフレ派にはいまだに19世紀的な貨幣数量説を信奉している人が多いが、その意味を理解していないようだ。そこでマネタリズムの古典とされるフリードマンの論文、"The Role of Monetary Policy"を紹介しておこう(テクニカル)。

これは1967年に行なわれたアメリカ経済学界の会長講演で、翌年のAmerican Economic Reviewに出たが、彼はここで金融政策に次の2つの限界があるとのべる。
(1) It cannot peg interest rates for more than very limited periods.
(2) It cannot peg the rate of unemployment for more than very limited periods.
(1)の金利が決まらないというのは一見、奇妙だが、彼はウィクセルの自然利子率の概念でこれを説明する。中銀が景気を拡大しようとして通貨供給を増やすとインフレ予想が起こり、名目金利は自然利子率より高くなってしまうのだ。自然利子率(実質金利)は資本収益率で決まるので中銀は操作できない。

(2)はおなじみの自然失業率で、現在では確立された学説だが、あれから45年たっても「金融政策で雇用が増やせる」などという嘘を売り込む経済学ブローカーにだまされて、日銀の目標に「雇用の拡大」を入れようとする政治家がいるのは困ったものだ。

他方、フリードマンが「金融政策にできること」としてあげたのは「貨幣が経済混乱の大きな原因にならないようにコントロールする」という控えめな役割だ。その具体的な方法として、monetary total(M2を念頭に置いていたようだ)の増加率を一定の率に保つ政策――k%ルールと呼ばれる――を提案した。

彼はインフレ目標を採用しない理由について、「金融政策と物価水準の関係は間接的ではっきりしないので、インフレ率を目標にすると過剰なコントロールをしがちだ」と書いている。それよりM2を一定に保って人々の行動基準を一定に保つことが望ましい。ここで彼は「原始マネタリスト」とは逆に、中銀が自由に物価をコントロールできないのでk%ルールが必要だと論じているのだ。

結果的には、M2と物価の関係も不安定なので、k%ルールを採用する中銀は今はない。このようにテクニカルな点ではフリードマンは敗北したのだが、中銀は裁量的な調整をやめて一定のルールを守ることに徹すべきだという彼の哲学は、現在の世界の政策当局と中銀に共有されている。インフレ目標も、本来はルールベースの政策である。

しかし落ち着いている物価をわざわざインフレにするのは、経済を攪乱する裁量的政策である。フリードマンのいうように、中銀は確実に操作できる変数だけを目標とすべきである。ゼロ金利で金利も操作できないときに「期待インフレ率」などという操作できる根拠も実績もないものを「気合い」で動かそうなどというのは荒唐無稽だ。

現実に、長期国債の大量購入で長期金利を自然利子率以下にしようとした「黒田バズーカ」は、フリードマンの指摘したようにかえって金利上昇をまねき、債券市場を混乱させただけだ。2年間で270兆円などというバカげた金融政策は「日本売り」を促進して円安を加速する効果はあるだろうが、日本経済には悪影響しかない。