「空気」の構造: 日本人はなぜ決められないのかここ1年、アゴラ読書塾などで考えてきた「日本人とは何か」というテーマについて、私なりの考えをまとめてみた。

いま日本の政治や経済の直面している混迷は、日銀がお金を配れば解決するような簡単なものではなく、もしかすると数百年に及ぶ歴史の中で形成されてきた日本人の伝統的な意思決定や行動様式に原因があるのではないか、というのが本書のテーマである。かといって「美しい日本」の伝統に帰ればいいというわけでもない。答はまだ私にもわからないが、問題は明確にできたと思う。

5月下旬発売だが、アマゾンでは予約受付中である。同時にアゴラブックスとKindleで電子版も出る。序論の一部と目次を紹介しておこう。序論は、版元のウェブサイトでも立ち読みできる。


はじめに――日本人は特殊か

2009年の政権交代で生まれた民主党政権は、日本の政治が変われるかどうかの壮大な実験だった。「官僚の手から政治を奪い返す」とか「政治主導で無駄を省く」といったスローガンはよかったが、結果として起こったのは官僚を使いこなせない混乱した政治と、自民党政権以上に膨張した国家予算だった。

その原因として、民主党の経験不足はあるだろう。しかし東日本大震災を契機に露呈した拙劣な危機管理や「脱原発」をめぐって迷走した意思決定を見ると、問題は民主党だけではなく、各官庁の自律性が強く、それをまとめる内閣の求心力が弱い日本の統治機構の欠陥にあると考えざるをえない。

「決められない政治」は、直接には衆参両院で多数派が異なる「ねじれ」によるものだが、ねじれる前の自民党政権でも正しい意思決定が行なわれていたわけではない。わずか5%の増税を決めるのに15年もかかり、法律が通っても実行するかどうかわからない。社会保障の削減に至っては、与野党ともに議題にすらしない。

毎年のように首相が代わり、歳出が際限なく膨張する日本の政治と、グローバル資本主義の中で大胆な事業再構築のできない日本の企業には、共通の欠陥がある。それは中枢機能が弱く、利害の対立する問題を先送りすることである。このまま放置すると、経済の停滞が続いて財政が破綻するのは時間の問題だが、これを是正することは容易ではない。その根底には、これから説明するような日本社会の構造があるからだ。

役所や企業のタコツボ的な自律性が強く、人々がまわりの「空気」を読んで行動するため、責任の所在が曖昧で中枢機能が弱い。部下が上司の足を引っ張る「下克上」の風潮が強いため、長期的な戦略が立てられない。こういう特徴は多くの人に指摘されてきたが、なぜ日本社会にそういう特徴があるのかはよくわからない。

もちろん「日本人」という人がいるわけではなく、その特徴が日本人以外にまったくみられないわけではない。しかし統計的にみても、日本人の思考や行動には独特のパターンがある。これを「あなたはどう考えているか」と質問する国際的なアンケート調査でみると、日本人が特に上位にあるのは次のような答である 。
  • 祖先には霊的な力がある:34ヶ国中1位
  • 宗教を信じていない:93ヶ国中5位
  • 自然を支配するのではなく共存する:60ヶ国中1位
  • リスクはすべて避ける:51ヶ国中2位
  • 職場では人間関係がいちばん大事だ:81ヶ国中1位
  • 仕事より余暇のほうが大事だ:79ヶ国中1位
  • 余暇は一人で過ごす:34ヶ国中1位
  • 自国に誇りをもっていない:95ヶ国中4位
  • 国のために戦わない:90ヶ国中1位
ここから典型的な日本人を想像すると、宗教は信じていないが祖先信仰は強く、自然を支配するより調和が大事だと考え、リスクは徹底的に避ける。職場では人間関係が大事だが、仕事より余暇が優先で、わずらわしい人間関係から離れて一人で過ごしたい。日本に誇りをもっていないので、国のために命を捨てる気はない――という保守的で他人に気を使い、政府を信頼していない人物像が浮かび上がってくる。読者のみなさんにも、思い当たる節があるだろう。

本書は、こうした日本人の特徴的な行動様式を、今までに書かれた「日本人論」からさぐり、歴史的な記録をたどってその原因を考えようという試みである。とはいえ日本人論の本は膨大にあり、それをすべてサーベイするわけには行かない。本書では私の問題意識にそって日本人の意思決定の特徴を論じている本を取り上げ、それを私なりに整理して現代の問題を考えたい。ただ、これまでの日本人論は学問的な根拠のない印象論が多いので、本書では経済学や歴史学の成果を応用して、なるべく学問的に考えてみたい。

目次

はじめに──日本人は特殊か

序章 「空気」が原発を止めた
 首相からの突然の「お願い」/玄海原発の失敗/「空気」が法律より重い国

第一章 日本人論の系譜
 罪の文化と恥の文化/講座派と労農派/敗戦と悔恨共同体/文明の生態史観/唯物史観と「水利社会」/タテ社会とヨコ社会/人と人の間/安心社会と信頼社会/「水社会」の同調圧力/灌漑農業のボトムアップ構造

日本人の肖像──福沢諭吉

第二章 「空気」の支配
「日本教」の特殊性/自転する組織/日本軍を動かした「空気」/公害反対運動と臨在感/アニミズムから一神教へ/一揆と下克上/動機の純粋性

日本人の肖像──北一輝

第三章 日本人の「古層」
 超国家主義の構造/無責任の体系/国体という空気/フィクションとしての制度/つぎつぎになりゆくいきほひ/永遠の今と「世間」/キヨキココロの倫理/「まつりごと」の構造/天皇制というデモクラシー/全員一致とアンチコモンズ/ボトムアップの意思決定/「古層」とポストモダン/近代化なき成長の終わり

日本人の肖像──南方熊楠

第四章 武士のエートス
 日本のコモンロー/徳川の平和/自然から作為へ/尊王攘夷の起源/開国のインパクト/惑溺と自尊

日本人の肖像──岸信介

第五章 日本軍の「失敗の本質」
 目的なき組織/曖昧な戦略/短期決戦と補給の軽視/縦割りで属人的な組織/心情が戦略に先立つ/心やさしき独裁者/両論併記と非決定/大日本帝国の密教と顕教

日本人の肖像──石原莞爾

第六章 日本的経営の神話
 外国人の見た日本企業/日本的経営の黄金時代/勤勉革命の伝統/日本的労使関係の起源/日本企業は町工場の集合体/協力と長期的関係/共有知識としての「空気」/村から会社へ/日本的雇用がデフレを生んだ/年功序列の終焉/グローバル資本主義の試練

日本人の肖像──中内功

第七章 平和のテクノロジー
 殺し合う人間/集団淘汰と平等主義/偏狭な利他主義/戦争が国家を生んだ/「無縁」とノマド/飛礫の暴力性/古層と最古層/なぜ「古層」は変わらないのか

日本人の肖像──昭和天皇

第八章 日本型デモクラシーの終わり
 空虚な中心/多頭一身の怪物/霞が関のスパゲティ/「政治主導」の幻想/日本型経営者資本主義の挫折/約束を破るメカニズム/セーフティ・ネットが檻になるとき/閉じた社会から開かれた社会へ