知識と経験の革命―― 科学革命の現場で何が起こったか黒田東彦氏の信じているような素朴ポパー主義は学問的には骨董品だが、タレブがこれを再評価している。もちろん彼もポパーの「反証主義」が成り立たないことは知っているのだが、科学の本質は否定的知識(subtractive knowledge)にあるというポパーの洞察は正しいという。科学の発展の原動力は演繹や帰納ではなく、試行錯誤して間違いを捨てることなのだ。

本書は先日紹介したHannamの本に続く16世紀以降の科学史を扱っているが、カトリック教会やアリストテレスの自然哲学を実験や観察によって否定する方法論が生まれた点で、西洋の科学は「革命的」だったという。科学史的には、その先駆はコペルニクスやガリレオであり、実証主義の元祖はフランシス・ベーコンだが、なぜ他の文化圏ではこうした科学が生まれなかったのだろうか?

これは自明の問いではない。16世紀の段階で、技術的な知識において圧倒的な最先進国は中国(明)であり、朱子学という形で高度に体系化された自然哲学を理解する「読書人」を科挙で官僚に選抜していた。しかし中国に欠けていたのは、既存の知識を否定する競争だった。いったん確立した学問体系はそれを完璧に習得したものが最高とされ、それを疑う者は排除される。科挙も次第にそういう堕落の過程をたどった。

西洋の大学も基本的に神学校で前例主義が強かったので、イノベーションは大学からは生まれなかった。ガリレオは宮廷つき教師であり、ハーヴェイは医師だった。特に大学以外で知識人が活躍するチャンスを広げたのは、植民地支配だった。これによって従来の自然哲学では説明できない多様な動植物や病気が出現し、他国と競争して海外に進出するためには航海術や天文学や医療などの実用的な科学的知識が必要になった。

このような多くの国々の競争は実用的な知識を必要とし、ビジネスや戦争に応用できるかどうかが学問の基準になった。こうして「使えない知識」が捨てられ、実験や観察に反する理論を棄却する実証主義が植民地時代以降に科学の方法論として確立した――というのが本書の説明である。

タレブの言葉でいえば、多くの人々が信じ続けてきた伝統を疑う否定的知識が西洋に初めて科学を生み、今もイノベーションの源泉になっているのだ。彼はスティーブ・ジョブズの有名な言葉を引用している:
Innovation is saying no to 1,000 things.