なめらかな社会とその敵本書は2ヶ月ぐらい前に贈ってこられ、ちょっと読んだのだがよくわからなかった。その後、何人かが好意的な書評をしているので、もう一度、読んでみたが、やはりわからなかった。難解だというのではなく、何をいいたいのかがわからないのだ。

著者のいう「なめらかな社会」とは、組織の内部と外部を区別しないで、1人が多くのグループのメンバーになる社会、というほどの意味らしい。現在の日本がこの意味で「なめらか」ではなく、特に若者と女性を排除する構造がますます強まっていることは事実だ。これを解決することは容易ではなく、日本社会のほとんど全面的なオーバーホールを必要とするだろう。

ところが著者はこの問題を、ネットワーク社会の問題にいきなり一般化し、それをPICSYなる電子マネーで解決するという。これは昔、柄谷行人氏が立ち上げて失敗したNAMで実験されたそうだが、この種の擬似通貨の類が成功したことは一度もない。日銀券ともリンクせず、匿名性のない電子マネーは、銀行ごっこ以上のものにはならない。この部分の論理的な飛躍が大きすぎて、そのあとの話は意味不明だ。

著者の社会観・国家観は、ナイーブで古い。彼がなめらかな社会の「敵」と名指しているカール・シュミットのいうように、近代社会の根底にあるのは暴力装置としての国家であり、それは友/敵を区別して誰を殺すかを決める「決断」のシステムである。資本主義は暴力を所有権という形で標準化する制度であり、その魅力も危険も、それが「なめらか」ではなく、持つ者と持たざる者を峻別する点にある。

資本主義が不公正で不愉快なシステムであることは著者のいう通りだが、それは多くの人々の欲望を満たしてグローバルに発展してきた。それを電子マネーぐらいで「メジャーバージョンアップ」できると信じるのは、ユートピアニズムの名にも値しない言語遊戯というしかない。

追記:著者に指摘されたが、「NAMで実験されたそうだ」と書いたのは誤解だった。『NAM生成』という本の共著者と書かれているので、あの地域通貨をやったのかと思ったが、どっちにしてもあの手の実験は袋小路だ。