けさのKrugmanのブログがちょっと話題になっている。日本のマスコミは「ノーベル賞受賞者クルーグマン先生がアベノミクスを支持した」とか騒いでいるが、原文を読めばわかるように、彼は金融政策の効果には否定的だ。FRBのQEは副作用がなければやったほうがいいが、流動性の罠を脱却しないかぎりきかないので、いま必要なのは財政政策だというのが彼の意見である(テクニカル)。

これは理論的には正しい。現在の状況が定常成長経路から一時的に逸脱していて、総需要を追加して元の経路に復帰できるなら、財政政策は意味がある。ゴルフボールがバンカーに落ちたような状態なら、そこから思い切りボールを打てば元のコースに戻る。問題はそういうコースが存在するのかということだ。
プレゼンテーション1
図1 日本の労働者一人当たりGDP

図1のように日本の成長率は、労働者一人当たりでみると、90年代から2007年までの平均成長率は1.2%で、それほど悪くない。Krugmanは財政政策で上の図の緑の破線の水準に戻せるという。これは定常成長経路が不変だという前提にもとづいているが、1998年の信用不安のあと日本はデフレに入り、以前のトレンドには戻っていない。

図2は生産性本部の統計だが、日本の労働生産性は2008年に3.3%も落ち込み、その後5年でそれを取り戻しただけだ。2005~11年の平均上昇率は0.5%と、大幅に落ち込んでいる。ところが内閣府などの出す潜在GDPは過去のトレンドを単純に延長して図1の緑色のような状態からのGDPギャップを計算するので、「日銀が量的緩和で3%のデフレギャップを埋めるだけで経済は成長する」というリフレ派の信仰が生まれるのだ。

キャプチャ
図2 日本の労働生産性

Cochraneも批判するように、こういうケインズ的モデルはGDPギャップを過大評価し、過大な景気刺激を求めるバイアスがある。日本の場合は、構造的ショックで恒常所得が下がったと考えるのが自然だから、労働生産性上昇率はここ20年の平均の0.9%ぐらいに回復すれば図1の赤線ぐらいに回復する可能性はあるが、もとの成長経路には戻らない。

Rajanも、あれほど大きな金融危機で産業構造は不変だと考えるのが間違っていると指摘している。必要なのは構造不況業種から成長部門へ労働者を再配置する改革であり、生産性が最低の建設業の雇用を増やすアベノミクスが失敗するのは確実だ。

Krugmanの議論は日本のリフレ派に比べれば論理的だが、「政府が需要を追加すれば元の成長経路に戻れる」というのはCochraneやRajanのバカにするold Keynesianである。これはKrugmanのような団塊世代がいまだに昔の成長モデルを信じているという世代的な感覚の違いだろう。日本でも浜田宏一氏は「高度成長時代には数%のインフレが続いていた」というが、今は高度成長時代ではないのだ。