今は「国体」というと国民体育大会の略だと思う人が多いだろうが、戦前にはきわめて政治的な言葉だった。特に「国体明徴」が叫ばれるようになったのは、天皇機関説事件がきっかけだった。立憲君主制のもとでは機関説は常識的な学説だったが、「陛下を機関とは何事か!」と美濃部達吉を糾弾する蓑田胸喜のようなファナティックな右翼が世論を動かし、誰もそれに逆らえなくなった。これを丸山眞男は「空気」にたとえている。
天皇制が正統化され、国民の中に、上から浸透していくに従って、天皇制そのものが政治的対立の彼岸におかれ、非政治的に表象された。したがって、それは、空気のように目に見えない雰囲気として一つの思想的な強制力をもつようになった。(「思想と政治」)
このように実体のない国体は、それゆえに限りなく大きな呪縛力をもつ。たとえば1923年に起こった摂政宮狙撃事件では、内閣が総辞職し、警視総監以下、警視庁の幹部が大量に懲戒免職となり、犯人の父は衆議院議員を辞職して「喪」に服し、郷里の村は正月の祝いをやめ、犯人の卒業した小学校の校長まで職を辞した。

放射能も国体のような無定義語になり、それにふれることさえ糾弾される「空気」になりつつある。100mSv以下のリスクは受動喫煙ぐらいだと言っても「放射能のリスクは特別だ」と主張する人々が官邸前にデモを繰り出し、それにあおられて民主党は「原発ゼロ」を打ち出す。これはかつて蓑田などの示威行動にあおられた政府が「国体明徴」の声明を出し、美濃部の著書を発禁にしたのと似ている。
国体は否定面においては――つまりひとたび反国体として断ぜられた内外の敵に対しては――きわめて明確峻烈な権力体として作用するが、積極面は茫洋とした厚い雲に幾重にもつつまれ、容易にその核心を露わさない。(丸山「日本の思想」)
今の日本で放射能にどういうリスクがあるのか、反原発派の主張ははっきりしないが、それを疑う科学者は「原子力村」や「御用学者」のレッテルを貼られ、瓦礫の受け入れを認める政治家の自宅までデモ隊がやってくる。科学的見解を暴力で脅迫するのは蓑田と同じファシズムであり、こうした「空気」が軍部の暴走を止められなくなった原因だ。

放射能の問題は、8割以上が政治と感情である。関係者と話すと「池田さんの話は科学的には正しいが、私の口からはとても言えない」といわれることが多い。自民党の政治家も「選挙区では言えない」といい、経営者も「客商売ではこの問題にはふれられない」という。これも戦前と似ているが、違うのは「天皇機関説」を主張しても公権力の弾圧を受けないことだ。蓑田のようなデマゴーグはたくさんいるが、長期的には淘汰される。

GEPRはそういう専門家の研究成果を発表し、科学的に討議する場としてつくったのだが、ビル・ゲイツ氏や青木昌彦氏を初め、内外から多くの情報が寄せられている。今回の騒動は、日本が戦前のようにデマゴーグの跳梁する国に戻るか、科学的な議論で危機を乗り超えるかの分かれ目である。