日本人とは何か。―神話の世界から近代まで、その行動原理を探る (NON SELECT)日本の組織の最大の弊害は年功序列だが、その起源は意外に新しく、戦前は官庁でさえ年功序列ではなかった。「日本はタテ社会だ」という人がいるが、中根千枝氏もいうように日本の社会はタテの階級関係が弱く、平等主義的なのが特徴だ。日本社会がタコツボ的な中間集団にタテ割りになっていてヨコの連携が弱いというのが「タテ社会」の意味である。

これを本書は、下が上を支配する「逆方向のタテ社会」だという。江戸時代の大名でも、主君と家臣の上下関係は弱く、主君だけで意思決定はできなかった。家臣のコンセンサスを踏み超える乱心の殿様や急進的な改革をする殿様は、押込によって隠居させられることが珍しくなかった。幕府も主君につねに味方したわけではなく、このように主君の権威が弱いことが「お家騒動」の頻発する原因だった。

日本社会は年齢で上下関係をつくらないといけないぐらい平等で、強いリーダーをきらうのだ。戦国時代に特有の現象のように思われている下克上も、少なくとも鎌倉時代からみられる現象で、押込はそれを制度化しただけだ。江戸時代に身分制度でそれを固定したのも、そうしないと農村の秩序が守れないからで、これを定期的にリセットする運動が一揆である。

本書も指摘するように、一揆と下克上と押込は本質的には同じで、平等な小集団の「まとめ役」である領主や主君が「空気」を読めないで共同体の秩序を破るとき、「空気」に従わせる運動である。このような「王殺し」は未開社会によくみられるが、日本では、こうしたまつりごとの構造が現代にも受け継がれている。

そこでは経営者は企業を支配するのではなく、部下に「まつり上げられる」立場であり、実際の仕事は現場が起案して、上司は承認するだけだ。こういう自律分散型の構造は、小集団の利害が一致するときは中央で指示しなくても「創発的」に秩序を形成して成長できるが、全体をコントロールする司令塔がないので、大きな方向転換がむずかしい。

こういう構造が残っている一つの原因は、『「日本史」の終わり』でも論じたように、日本が対外的な戦争を経験しなかったために共同体の淘汰圧が小さかったことに求められよう。小集団が戦争で破壊されると人口が流動化し、紛争を抑制する支配者が必要になる。これは西洋だけではなく、中国でも「大きな社会」では専制支配がないと秩序は維持できない。

ところが日本のように平和が続くと、よくも悪くも古代的な秩序を守ることができる。そのためには集団の規模を小さく保ち、集団間の人口移動は最小化し、集団内では平等主義を守る必要がある。徳川幕府は、まさにこれを実行して300年の平和を実現した。古代から1000年以上にわたって続いてきたこの行動様式(ミーム)は、日本社会に深く埋め込まれており、それを自覚しない限り変えることもできない。