一揆の原理 日本中世の一揆から現代のSNSまでひところ騒がれた官邸前のデモも、最近は主催者発表で6500人(実数はたぶん数百人)と収束したようだが、こういう大衆運動は歴史的にも珍しくない。その代表が、本書のテーマとする一揆である。

一揆というと筵旗を掲げて代官所に押し寄せる江戸時代の百姓一揆を思い浮かべるが、本書によればその最盛期は中世で、参加者も百姓だけではなかった。僧兵の行なった強訴や、武士が将軍の住む御所を取り囲んで要求する御所巻も一揆の一種だった。指導者には武士が入っていることも多く、そういう古典的な一揆の最後が島原の乱だった。

歴史学の主流だった唯物史観では、一揆は階級闘争とみられることが多いが、本書はこれを否定し、むしろ「一味神水」などの儀式で日常的な共同体と縁を切り、権力に対して訴える一時的な結社のようなものだったとする。網野善彦のいう無縁の世界は、自由だが不安定なので、彼らは起請文などの契約で団結を確認した。つまり共同体から離れて目的をもつ機能集団が、日本にも中世からあったのだ。

しかし一揆は、徳政令などの目的を達成すると解散した。本書がいうように「百姓一揆とは『武士は百姓の生活がきちんと成り立つようによい政治を行なう義務がある』という『御百姓意識』に基づく待遇改善要求であるから、既存の社会秩序を否定するものではない」(p.216)。このため一揆は、西洋の市民革命のような変革には発展しなかった。

本書も指摘するように、戦後の「革新政党」から最近の反原発デモに至る反政府運動も、一揆の系譜を引くものといえよう。それは武家の「主君押込」とも似ている体制内改革だ。暴君は排除するが、国家の枠組は変えないのが日本的な平和主義の伝統だろう。

ただ日本型組織=共同体という固定観念とは違って、結社の伝統が広範にあったという発見はおもしろい。著者もいうように、それがSNSのような新しいメディアと結びつけば、網野的なノマドが日本社会で活躍する可能性もあるかもしれない。