先週の記事の続き:「空気」を共有知識と理解すると、それは日本人に固有のものではない。グライフの有名な業績で知られるように、中世のマグレブ商人なども互いの評判を共有する「空気」によって取引の安全性を担保していた。ただ、これは特殊な条件のもとでのみ有効で、マグレブ商人の取引関係も血縁のみで成り立っていたわけではない。

もう少し一般的なメカニズムとして、ヨーロッパで中世に広く行なわれていたのがcommunity responsibility system(CRS)と呼ばれるものだ。これはグラミン銀行のように、債務不履行の責任を「隣組」に負わせるしくみで、多くの発展途上国にみられる。日本の無尽や頼母子講もこれに似たしくみだった。CRSを成立させる条件は、こうしたマイクロファイナンスの経験でよくわかっている。
  • 互いによく知っていて信頼できる人どうしでグループを組まないと、他人の借金で破産する
  • グループは少人数でないと機能しない(グラミン銀行の場合は5人)
  • 人口移動の少ない農村で他に仕事を見つけにくい単純労働者や女性に適しており、都市部では成り立たない
要するに情報共有の単位を細分化し、それを固定することが重要なのだ。グラフ理論でいうと、共有知識をn人全員がもつためには少なくともnC2=n(n-1)/2回のコミュニケーションが必要なので、これはnが大きくなると爆発的に増えるが、司法機関が全員の評判を記録するハブになるとn回のコミュニケーションですむ。日本の組織がタコツボ的なのは、組み合わせの爆発を防ぐ工夫である。

特に重要なのは、遠距離貿易でCRSの実行が困難だったことだ。このためヨーロッパ全域をカバーするLaw Merchant(商慣習法)ができ、私的な司法機関が生まれた。グライフによれば、CRSが「自生的」に非人格的な法の支配に発展したケースは歴史的に一つもなく、司法的なメカニズムとの競争でCRSが敗れるという形で淘汰された。

グライフは、中世後期の商取引を支えたのは国家ではなく、こうした司法的な社団(今でいうADR)だったと論じている。しかしこうした制度は私的なレントに依存しているので、取引が広域化すると競争が激化してレントが少なくなる一方、債務不履行が増えて経営が困難になる。このとき、二つの経路があった。

一つはハンザ同盟のような商人ギルドで契約の有効性を守り、競争を制限してレントを守ることだ。これが極端になると、マフィアのように用心棒が犯罪をおかして「需要創出」を行なうようになる。もう一つは国家が公的に契約を担保するしくみだった。前者に依存したドイツやイタリアは経済統合が遅れ、後者をとったイギリスでは統一国家が早くからできた。

この分類でいえば、日本はドイツ・イタリア型だろう。大企業は事業部ごとにタコツボ化し、労働者の移動を制限して「ガラパゴス化」する。こうした均衡はそれ自体としては部分最適なので、法の支配に自発的に移行することはむずかしく、法科大学院を増やしても移行できるわけではない。必要なのは、古いシステムを創造的に破壊するイノベーターだろう。