Institutions and Comparative Economic Development (International Economic Association)『「日本史」の終わり』に青木昌彦氏からメールでくわしいコメントをいただいて気づいたことがあるので、少し補足(テクニカル)。

彼の新著は日中韓の経済発展の比較で、その要旨を述べた国際経済学会の会長講演の訳が『経済セミナー』8月号に掲載されている。それによれば、日中の経済発展パターンの違いの原因は、日本ではイエやムラによる地縁的結合が中心だったのに対して、中国では宗族と呼ばれる擬似血縁集団が中心だったことに求められるという。これは最近では関係(guanxi)と呼ばれるが、宗族は親族集団ではなく機能的な社団(corporation)だ、というのが青木氏の主張のコアである。

これはわれわれの本でも重要な論点で、両者の違いがその後の近代化の経路をわけた。中国では国家の経済インフラが弱いため、宗族によって契約の履行を担保しなければならないが、こういう私的な紛争処理は非効率的で、腐敗しやすい。中国では賄賂が公然と認められ、宗族の中から科挙に合格する秀才が出ると、その一族はみんな国家に寄生して生活できた。科挙そのものは公正に行なわれたが、このように国家が私的な宗族に乗っ取られたため官僚機構が劣化し、経済が発展しなかった。

それに対して日本では、士農工商の身分制度で個人が地縁共同体にしばりつけられたが、国家権力と経済力が集中排除されたため、経済は停滞したが平和が維持され、中間集団内のガバナンスは強くなった。イエも同族集団ではなく、養子を迎えることもある機能集団なので、これも社団と考えることができよう。

つまり丸山眞男が類型化したように「自発的結社」と「共同体」という2種類の集団があるのではなく、基礎集団としての農村の中にいろいろなタイプの機能集団が生まれ、それが対立あるいは連合して国家が形成されたと考えられる。機能集団のうちもっとも個人の自律性が強いのがプロテスタント教会で、ここでは社団はフィクションであることが明示されている。それが株式会社や政党の原型だ。

しかし機能集団のモデルは、プロテスタント教会だけではない。カトリック教会はイタリアにも見られるように地縁的結合が強く、インドではカーストという職能集団が社会の根幹である。こうした集団は、メンバーにとって唯一の自然な共同体=基礎集団と意識されているため、彼らはその外に出ようとしない。つまり機能集団が基礎集団の中に埋め込まれているため、集団外の目的意識をもたず、集団の存続が全員の共有する唯一の目的となるのだ。

最大の機能集団が主権国家だが、ナショナリズムが「想像の共同体」の一員として国民を戦争に駆り立てる力をもつのは、国家がフィクションではなくリアルな実体と意識されているからだ。このように機能集団が強力に機能するには、それが「自然」な規範として基礎集団に埋め込まれ、人々の暗黙知(システム1)の中に組み込まれる必要がある。

ここに日本のパラドックスがある。「空気」を規範とも意識していない日本人のガバナンスはきわめて強力だが、それゆえにこの規範を相対化して変えることがむずかしいのだ。これまでは人々の生活を支える基礎集団の役割を会社などの機能集団に負わせてきたが、こういうシステムには限界が見えている。

だから日本の課題は、まず機能集団の中に含まれている基礎集団を「アンバンドル」することだろう。たとえば株式会社に「雇用責任」を求めるような村社会のモラルを否定し、企業を機能集団として「純化」させることが改革の出発点である。

追記:この記事はラフな感想で、青木氏の論文の紹介ではない。正確に知りたい人は、原論文を参照されたい。誤解があるといけないから、彼のコメントを(了解を得たので)付記しておく。
日本と中国の差は 地縁的結合 対 宗族=社団だという単純な比較はしません。まず基本から言うと,社会的信用規範のあり方と,農村に対する地代強制のメカニズムに焦点を当てて国家の性質(江戸、清朝ともに経済の基礎は自己経営小農経済ーpeasant economy )をゲーム論的に引き出し、双方のあいだの戦略的/制度的補完性を、江戸日本/清朝のそれぞれに特徴付けます。

江戸では幕藩それぞれが,一定地代を農民から徴収するので,村が residual claimantになる (これは昔から僕の言ってる事ですが,速見融氏,古くは安良城が明快に資料的に実証している)。そこで、剰余を最大化するため,家(長子相続)をメンバーとした、membership-based の信用規範が生まれる(単なる地縁ではない)。つまり,メンバーシップである事を必要十分条件とした信用関係です。ですから,後の会社(社団です)のように,そこにメンバーシップが発生すれば,何も地縁でなくともいい訳です。

中国については,与那覇さんが清の制度を郡県制、宗族結合でくくって説明しようとしているが、現段階の中国研究では単純すぎる。Nomad originの清王朝が、なぜ、分割相続で細分化され複雑な土地所有権と地代徴収を強制できたか。これは農民30万人につき一人しか、科挙をパスした知県がいない郡県制では説明できません。

要は,村松祐次氏がかって詳細に精査した,租桟(江南)とか、リニエージ(福建,広東など)などの中間組織と郡県制のあいだに戦略的な補完関係があったという事の分析/理解が鍵です。岸本美緒が正しく指摘しているように,中央集権、中間団体のいずれかに焦点を当てる方法論では片手落ち。その双方の補完制を明らかにして制度をシステムとしてみないとだめです。

また従来の見方では中間団体を血縁と団体と同一視する人が多いが(Greifふくめ)、じつはそれが关系によって補強された社団であり、中国の政治システムは、中央政府と私的中間団体の相互浸透で特徴付けられるとみれば,現在の共産党と地方政府/国有企業のcollusionに引き継がれている事が見えます。

さらに、契約関係は政府の目と手のとどかないところで,広範に農民同士のあいだでもあったので,それをenforceするのは、お互いに意識的に評判資本に投資してはじめて維持できる所の关系が担います。こうした事は親子のあいだでさえそうだったという事は,満鉄調査部のフィールドワークでもくわしく実証されており,外国でも受け入れられています(フクヤマも同意見)。

この信用規範は,日本のようなメンバーシップ−ベースの信用規範とも,西洋的な一般的規範とも違います。その关系が、国家による中立的な強制メカニズムを代替する事によって,市場のcultureが、清朝の農地貸借/売買市場や改革開放期の郷鎭企業の簇生を生む訳です。