「日本史」の終わり  変わる世界、変われない日本人與那覇潤氏と私の共著が19日に(電子版と同時に)発売される。アマゾンでは予約の受け付けを開始した。

まえがき

民主党が政権交代を果たして、もう3年になります。あのときは多くの人々が自民党政権のもとで続いていた閉塞状況が変わるのではないかと期待しましたが、今では国会はねじれ、民主党は分裂し、すっかり熱気は冷めてしまいました。民主党は官僚機構の壁を破れずに自民党化する一方、自民党は「何でも反対」の野党化し、55年体制の与野党が入れ替わっただけのように見えます。

そんな中で、大阪市の橋下徹市長の率いる「大阪維新の会」が注目を集めています。彼は「決定できる民主主義」を掲げ、地元では熱狂的な支持を受けています。それは「自民党をぶっ壊す」とぶち上げて2005年の総選挙で圧勝した小泉純一郎元首相を思わせます。彼が日本の停滞を今度こそ打ち破ってくれるという期待感があるのでしょう。


しかし橋下氏の強権的な手法には批判も少なくありません。選挙による圧倒的な支持を背景にして、労働組合などの反対を「職務命令」で押し切る彼の政治手法は、西洋近代というより中国的な「人治政治」に近い。これはある意味では当然で、日本の官僚機構は儒教的システムなのです。そこでは議会が立法して官僚が執行するという三権分立は機能せず、立法も行政も司法も行なう官僚機構が権力を独占する状態が明治以来ずっと続いてきました。

だから今の政治の混乱を理解するには、西洋を見るより中国の歴史を見たほうが役に立ちます。中国では「国家」とは皇帝と官僚機構のことであり、議会は伝統的に存在していません。法律が国家権力を拘束する「法の支配」はなく、逆に皇帝の属人的な権力に国民を従わせるのが法律の役割です。橋下氏のような「東洋的専制」は意思決定のスピードが速く、大きな路線転換もやりやすいのですが、暴走するリスクもはらんでいます。

他方、日本は中国型と大きく違う面もあります。それを與那覇さんは『中国化する日本』で「江戸時代型」と呼びました。全国300の藩が別々の法律や武力をもち、士農工商の身分を固定して移動を禁じた江戸時代のシステムは、平和を維持する上では効果的でしたが、人々の所属する中間集団がタコツボ化して全体戦略や強いリーダーが出てこない原因ともなりました。

この特徴は現代の「局あって省なし」といわれる中央官庁や「中小企業の集合体」といわれる大企業にも受け継がれています。このように内向きで縦割りの社会は必ずしも江戸時代に生まれたものではなく、丸山眞男が「古層」と呼んだ古代以来の日本人の行動様式にも同様の特徴がみられます。それがなぜ生まれたかというのが本書のテーマの一つですが、こうした「ガラパゴス」的なシステムはグローバル化の中で揺さぶられています。

フランシス・フクヤマは、1992年に『歴史の終わり』で、冷戦の終了とともに民主主義と自由経済が最終的に勝利し、さまざまな政治・経済体制やイデオロギーが闘いを続けてきた人類の歴史が、西洋的な価値観の勝利によって終わるという見通しを示しました。しかしそれから20年たって彼の書いた『政治的秩序の起源』は、逆に中国の台頭によって西洋中心の歴史が終わろうとしていると論じています。同じような意味で、国内で閉じた「日本史」も終わりが近づいているのかもしれません。

本書は、従来ともすると近代化=西洋化ととらえられがちだった歴史の見方を考え直し、西洋と中国という二つの軸を基準にして日本の歴史をたどり、現代の「決められない政治」や「変われない企業」の原因を考えてみようという試みです。3回にわたって対談した記録に大幅に手を入れ、先史時代から古代、中世、近世、近代と時代を下っていますが、テーマは現代の日本を考えることなので、必ずしも時代順に論じているわけではありません。厳密な学問的議論は省きましたが、細かい話や参考文献は注をつけて巻末にまとめました。本書が混迷する日本の進路を考える上で、少しでも参考になれば幸いです。


目次

まえがき───池田信夫

第1章 中国から歴史を見る
 中国という脅威
 「他民族中心主義」からの脱却
 中国が世界史のベンチマーク
 集団を守る遺伝子

第2章 古代から日本人は「平和ボケ」
 人類の15%は殺されていた
 宗教や言語も戦争から生まれた?
 「スパンドレル」としての文明
 人間は徹底的に合理的
 農耕社会の成立と「自然国家」
 「戦争機械」から歴史を見直す
 歴史は感情で動く

第3章 戦争が国家を生んだ
 秦は「近代国家」だった?
 暴力だけで国家は統治できない
 水利構造と日本社会
 日本人は無宗教か?
 丸山眞男の探究した「古層」
 ポストモダンの日本?
 国のかたちを2つの軸で見る

第4章 中世に始まる「失敗の本質」
 民主主義は普遍的か
 平和な国家はコモンローに向いている
 法律に現実を合わせる過剰コンプライアンス
 失われた日本のコモンロー
 結果を重視しない「動機の純粋性」
 長い平和が曖昧なルールを生んだ
 所有権の未成熟
 国家が「暴力装置」であることを知らない日本人
 霞ヶ関は儒教官僚の街
 中世の「悪党」
 一向一揆に可能性はあったのか?

第5章 中国は昔から「小さな政府」
 中国の「宗族」と日本の「村」
 グローバル化しやすい中国人、しにくい日本人
 中国人をつなぐ「関係」のネットワーク
 「場」に依存しない中国人の強み
 朝鮮半島は儒教の教条主義
 Exitとvoice

第6章 西洋近代はなぜ生まれたのか
「大分岐」の原因
 契約の西洋とデポジットの中国
 キリスト教が近代化の源泉
 戦争が西洋近代を生んだ
 産業革命と勤勉革命
 今も受け継がれる勤勉のエートス
 租税反乱が法の支配を生んだ
 日本には法の支配がない

第7章 全員が拒否権をもつ日本
 日本はいまだに「水戸黄門」の世界
 官僚は法律より強い
 司法の独立性が強すぎるアメリカ
 司法が空気を読む日本
 戦国時代を「解凍」した明治維新
 所有権の曖昧さ
 全員一致が「アンチコモンズ」を招く

第8章 霞ヶ関という不思議の国
 明治憲法の「空白の中心」
 スパゲティ状にからんだ法律
 官僚の仕事の8割は根回し
 日本の官僚制度は「ブロン」か「キマイラ」か
 「財務省支配」という神話
 地中に隠れた霞ヶ関のリゾーム構造
 全会一致が日本社会の規範

第9章 「決められない政治」は変わるか
 小泉改革は「個人商店」
 小沢一郎氏の挫折
 「武士は食わねど……」の倫理
 橋下市長の巧みな演出
 日本の左翼は「江戸時代派」
 左翼が転向する理由
 知識人の「左翼コンプレックス」
 二段階目のない二段階革命

第10章 日本は「中国化」するのか
 高度成長は奇跡ではなかった
 大分岐から大収斂へ
 国内的には「大分岐」が起こる
 中国はソフト・ランディングできるか
 忘れるという合意

第11章 「長い江戸時代」の終わり
 日本は変われるのか
 財政破綻で何が起こるか
 主権国家の限界
 「日本史」の終わり

あとがき───與那覇潤