ゆうべの福島みずほ氏についての記事が大反響を呼んでいるが、これは西岡氏の本にも書かれている歴史の常識である。彼女が主犯で朝日新聞が共犯だったとすれば、問題をこじらせたのは外務省の拙劣な「政治決着」だった。

読売新聞の便利なまとめによると、外務省の対応は次のようなものだった:
政府は92年7月6日、旧日本軍が慰安所の運営などに直接関与していたが、強制徴用(強制連行)の裏づけとなる資料は見つからなかったとする調査結果を、当時の加藤紘一官房長官が発表した。

その後も韓国国内の日本に対する批判はいっこうに収まらなかったことから、政府は93年8月4日、慰安婦問題に対する公式見解となる「河野洋平官房長官談話」を発表した。ただ、この河野談話は表現にあいまいな部分があり、日本の官憲による強制連行を認めたと印象づける内容になっていた。

第一に、慰安婦の募集について「軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあった」と明記した。

第二に、朝鮮半島における慰安婦の募集、移送、管理などは「総じて本人たちの意思に反して行われた」と重ねて記述した。これにより、ほとんどが強制連行だったとの印象を強めることになった。
この「官憲等が直接これに加担した」というのは、外務省の解説によるとスマラン事件のことだが、これは末端の兵士が起こした強姦事件で、責任者はBC級戦犯として処罰された。ところが河野談話ではこの点を明記しなかったため、朝鮮半島でも官憲が強制連行したと解釈される結果になった。このように誤解を与える表現をとった原因を、石原信雄氏(当時の官房副長官)は次のように明かしている(産経新聞2007/3/1)。
当時、韓国側は談話に慰安婦募集の強制性を盛り込むよう執拗に働きかける一方、「慰安婦の名誉の問題であり、個人補償は要求しない」と非公式に打診してきた。日本側は強制性を認めれば、韓国側も矛を収めるのではないかとの期待感を抱き、強制性を認めることを談話の発表前に韓国側に伝えた。
「本人の意に反してでも強制的に集めなさいという文書は出てこなかった」のに、あたかも強制があったかのような曖昧な表現をとることで、外務省は韓国政府と政治決着しようとしたのだ。ところが結果的には、これが「日本は強制を認めた」と受け取られ、韓国メディアが騒いで収拾がつかなくなった。さらにその後も
国連人権委員会のクマラスワミ氏がまとめた報告書では、慰安婦を「性的奴隷」と規定し、日本政府に補償や関係者の処罰を迫ったが、その根拠の一つが河野談話だった[このときも日本政府は抗議声明を出そうとして撤回した]。

95年7月、政府は河野談話を前提に、財団法人「女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)」を設立。これまで364人の元慰安婦に償い金など合計約13億円を渡した。併せて、橋本、小渕、森、小泉の歴代首相がそれぞれ「おわびの手紙」を送っている。
このように政府が「強制はなかったが悪かった」という態度表明を繰り返したため、欧米メディアまで慰安婦を「性奴隷」などと書くようになり、世界的に誤解が定着してしまった。韓国政府の官僚は実情を知っているのだが、韓国では「親日派」は悪者の代名詞なので、反日感情が暴走すると止められない。

私は政治決着を一概に否定するつもりはないが、やるなら相手国の政府が本当に問題を解決できるという見きわめが必要だ。相手から確約もとらず、そういう目算もないまま「矛を収めるのではないかとの期待感」で一方的に罪を認めるのは、ナイーブな「平和ボケ」外交というしかない。

韓国は日本に対して情報戦争を仕掛けているのだから、譲歩したら相手はいくらでも強く出てくる。これは領土問題と同じゼロサム・ゲームなので、仲よく和解する道はない。ところが昨年、日韓通貨スワップ協定を結んだとき、国会で片山さつき氏が「日本を攻撃している韓国になぜスワップを増額するのか」と追及したところ、財務省は「他の問題ではもめているので、この問題では仲よくしたい」と答えたという。

このように日韓問題に各省がバラバラに対応し、紛争の表面化を恐れて譲歩する結果、韓国が増長して状況が悪化してきた。これは戦略的な問題を官僚に丸投げしてきた政治家が悪い。内閣に日韓問題の特命チームをつくり、領土問題と慰安婦問題と通貨スワップ協定についての戦略をワンセットで考えるべきだ。