文明としての江戸システム 日本の歴史19 (講談社学術文庫)今われわれが「長い江戸時代」の終わりに立ち会っているとすれば、江戸時代の歴史をひもといてみることも意味があろう。人口動態からみても、現代は幕末に似ている。本書の推計によれば、1600年の日本の人口は1200万人程度だったが、1721年には3100万人に増えた。これは史上空前の人口増だったが、そのあと人口増は止まり、1846年には3200万人にしかなっていない。これにともなってGDPも江戸時代前半には急増したが、後半には停滞した。

前半の人口増と急成長の原因は、市場経済化である。この最大の原因は、15世紀後半から続いた戦乱が収まり、平和が実現したことだった。この時代に勤勉革命のエートスが形成され、労働集約的な技術で農業生産性も上がった。この時期に、4~5人の家族による小農経営が定着し、イエが農村の単位になった。

これに対して、後半ピタっと人口増も成長も止まったのはなぜだろうか。一つは「小氷河期」による飢饉の頻発だが、もっと重要な原因は間引きだったと推定される。人口爆発によって農地が不足したため、堕胎や「子返し」と呼ばれる嬰児殺しが、なかば公然と行なわれた。「姥捨て」は小説の中だけの世界で、口減らしのために現実に行なわれたのは子殺しだったのである。

停滞のもう一つの原因は、幕藩体制による秩序の固定化である。勤勉革命をもたらしたのは「徳川の平和」だが、これは戦国時代の休戦状態を「凍結」した変則的な体制だった。徳川家は名目的には他の大名に優越する統治者だが、全国の1/4を占める「天領」以外の土地からの徴税権はなく、法的・軍事的な統治権も各藩の大名にあった。したがって各藩の経済力を抑制して反乱を防ぐことが、平和を維持する上で重要だった。

このために藩主の家族を「人質」として江戸屋敷に置かせ、参勤交代で財政負担を強制した。徴税の基準となる石高は1700年で凍結され、再測量には農民が百姓一揆で抵抗したので、幕末には実効税率は8%程度だったといわれ、下級武士の生活は困窮した。他方で士農工商の最下位だった商人は原則として非課税だったため、権力をもつ武士には金がなく、権力のない商人が豊かになった。

丸山眞男は、これは幕府が反政府勢力に武力と富が集中するのを防ぐ集中排除の政策だったと論じている。これによって失業した武士は儒学などの勉強に励み、金をもつ商人は遊郭や芸能などの「悪所」を楽しみ、世界的にみてもきわめて洗練された江戸文化が発達した。権力と富が分離されたことは政治の腐敗を防ぎ、近代以降も日本で官僚制度が成功する原因になったといわれる。

しかしこの秩序は開国という外圧で「解凍」されると、わずか10年あまりで崩壊した。現代の日本でも人口と成長は停滞し、財政は破綻に瀕しているが、政治家は増税に反対する「百姓一揆」に迎合し、豊かさに飽きた町人は「原発を止めろ」というデモに集まる。それは幕末のええじゃないかと同じく、今のシステムがもう長くないことを直感した民衆の盲目的な騒動だろう。幕末とのアナロジーが正しいとすれば、この秩序を解凍する方法は開国しかないのだが・・・