ものつくり敗戦―「匠の呪縛」が日本を衰退させる (日経プレミアシリーズ)おとといのニコ生アゴラでも議論になったことだが、日本の役所の縦割り構造は常軌を逸している。個人情報保護法の関連法だけで1800もあり、同じような法律を各省庁や業界ごとにつくっているという。これは企業も同じで、パナソニックの津賀新社長は「当社は中小企業の集合体だ」という。

このような日本の組織のタコツボ的な性格は、中根千枝や丸山眞男など多くの人々に指摘されてきたが、その原因ははっきりしない。その一つは、『気分はまだ江戸時代』でも論じたように、日本が異例に平和で、多くの村をまとめて戦争する必要がなかったことだろう。戦国時代には統一国家のできる兆しもあったが、その途中で徳川家が全国の1/4を統治した状態で戦争を「凍結」してしまった。

この平和な時代に、日本の人口は1000万人から3000万人以上に激増した。その過剰人口を消化するために起こったのが、労働集約的な技術で土地の生産性を上げる勤勉革命だった。本書は、日本の「ものつくり」が国際競争に敗れた原因を勤勉革命のエートスに求める。タコツボ的で非効率な組織を統合しないで、果てしなく残業して根回しを繰り返す結果、製品は各部門の主張を雑多に取り入れたガラケーのような部分最適の集合体になる。

他方、数百の都市国家が激しい戦争を繰り返していた西洋では、都市の限られた人口を資本で補い、労働節約的な技術を開発する産業革命が起こった。もっとも重要なのは軍事技術であり、戦争に勝つという目的に最適化してシステム化する必要があった。このため西洋の工場は早くから「軍隊化」し、交換可能な労働者で大量生産する脱熟練化(de-skilling)が起こった。

これに対して日本では「現場」が重視され、労働者の企業特殊的な熟練を受け継ぐ伝統が続いてきた。ここで大事なのは製品としての「もの」の品質だから、生産システム全体を効率化する発想はなく、ソフトウェアは軽視される。企業買収で組織を解体・再生することも現場が拒否するため、M&Aの時価総額はGDPの2.5%しかない。この結果、株価はアメリカの半分になり、東証一部上場企業の平均PBRは0.97。「100円の入った財布を97円で売っている」状態だ。

要するに日本の企業では、(サラリーマン経営者と労働者の)従業員共同体を守るために株主利益を犠牲にするモラルハザードが起こっているのだ。これを是正することはむずかしい。80年代のアメリカでその手段とされた敵対的買収は今ではほぼ不可能になり、日本では成功例がない。友好的に買収しようとしても、社長が役員会を説得できない。

このように日本企業が資本主義を無視してきたことが「失われた20年」の原因だが、そろそろ限界が近づいてきた。シャープが鴻海に買収されるかどうかが、一つの試金石だ。カネボウのように買収を拒み続けると最終的に倒産し、もっと大きな犠牲が出る。シャープは買い手がいるだけ幸いである。むしろ新興国の資本を積極的に導入して日本企業を再生させる政策が必要だろう。