経済学者以外にはどうでもいい話だが、Krugmanがマクロ経済学のmicrofoundationについて「そんなものに大した意味はない」と論じている。

経済学は「ミクロ」と「マクロ」にわけて教えているが、両者は論理的につながっていない。この問題は長く論争の的になっており、その一つの解決はケインズ理論を不均衡理論として理解するもので、Clowerなどの理論が70年代には流行した。しかしこの種の理論では、そういう不均衡が長期的に続く理由が説明できないため、行き詰まった。

もう一つは、ケインズ的な不均衡状態を過渡的な「摩擦」と考え、長期的には新古典派的な均衡に到達すると考えるものだ。そのもっとも洗練された形が現在のマクロ経済学の主流であるDSGEだが、Krugmanも批判するように、
[W]hat we call “microfoundations” are not like physical laws. Heck, they’re not even true. Maximizing consumers are just a metaphor, possibly useful in making sense of behavior, but possibly not. The metaphors we use for microfoundations have no claim to be regarded as representing a higher order of truth than the ad hoc aggregate metaphors we use in IS-LM or whatever;
マクロの現象をミクロ的に説明することは、理論の一貫性という点では望ましいが、そのミクロ的基礎となっている「個人は効用を最大化する」という理論が実証されていない(実験的には完璧に反証されている)以上、その一貫性は砂上の楼閣である。特に今回の金融危機のような大きなショックに直面したとき、人々が最大化計算を行なうと考えることは荒唐無稽だ。

個人がどういう行動をとっているかはブラックボックスであり、統計的な相関で判断するしかない。だからIS-LMのような簡単なモデルでも、ないよりましだ。無理やりDSGEのように複雑なモデルを当てはめても、アドホックな補正が大きくなって役に立たない。
It is better to be vaguely right than exactly wrong. - Carveth Read