原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―私のブログやツイッターに対する匿名の罵倒は山ほどあるが、実名の批判は驚くほど少ない。今まで記事で反論したのは、中島聡氏に対してだけだ。本書の著者、安富歩氏からも何度かTBが来たが、論旨がよくわからないので放置していた。ところが本書では、なんと40ページにわたって私の記事が批判されている。これはお答えしないわけにはいかないので、長文になるが反論しておこう(個人的な記事なので、関心のない人は無視してください)。

安冨氏はアゴラの初期のメンバーであり、彼の著書を好意的に紹介したこともあるが、私の記事が「東大話法」だという批判は意味がわからない。東大に勤務する彼が、しがない私立大学に勤務している私に「東大」というレッテルを貼るのも奇妙だが、「お前の言い方が悪い」という日本人に特有の話は非生産的なので、論じてもしょうがない(これが放置した理由)。

ただ、彼の事実についての指摘には、ここでお答えしておこう。40ページもの批判にすべて答えることは不可能なので、たとえば「東大話法」という批判の最初の記事を取り上げよう。彼は、私のアゴラの記事にこうコメントしている:
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福島第一原発の状況はまだ予断を許しませんが、かなり大量の放射性物質が周囲に出たことは間違いありません。しかし、いま発表されている程度の放射線量であれば、発電所の周辺を除いて人体には影響がないでしょう。これについては過去の核実験で多くのデータが蓄積されており、計算可能なリスクです。
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これは既に暴論である。低レベル放射線量被曝もたらす長期的影響についてのデータの蓄積は極めて乏しい。なぜなら、この調査を科学的に厳密にやるためには、

(1)沢山の人を調べないといけない。
(2)非常に長期にわたって調べないといけない。
(3)身体の全ての部位について調べないといけない。
(4)子々孫々にわたる遺伝的影響について調べないといけない。
(5)被曝量を正確に見積もらないといけない。
(6)被曝部位を正確に見積もらないといけない。

からである。これらを全てやって、何の影響もない、ということがわかれば「健康に影響がない」と言えるのである。しかし実際問題として、こんな調査は不可能に近い。それゆえ、全ての調査はいい加減である。最も正確とされるのは、広島長崎の原爆の被爆者の調査であるが、これとても、放射能の影響が軽く見積もられていた時代に始まっているので、不十分である
これは「わからないことが多い」と言っているだけで、何も新事実を指摘していない。広島・長崎の生存者12万人を60年近くにわたって追跡した被爆者調査が「不十分」だというなら、十分な疫学データは世界のどこにもないし、完全なデータがなければ何も言えないというなら、放射線についての議論は成り立たない。

だから安冨氏が自分の主張に誠実なら、原発は危険かどうかもわからないのだから、何も言えないはずである。ところが彼は「過去に前例のない大事故が、浜岡原発よりもずっと可能性が低いと見られていた福島原発で起きたので、浜岡原発事故の可能性はもはや否定出来ない。[・・・]それゆえ、止めてしまうべきだという主張は、合理的である」という。

都合の悪いデータは「不十分」だといい、自分の主張を裏づける話は「可能性が否定できない」というだけで断定する彼の論法は、東大話法かどうか知らないが、ダブルスタンダードである。原発のようなサンプルの少ない問題については、すべてのデータは不十分なので、その制約の中で判断するしかない。そういう条件つきで、たとえば中川恵一氏は「福島では癌は増えない」とあえて断定している。

安冨氏の放射線についての議論は「低線量被曝の影響はわからないから恐い」という非論理的なものである。福島第一原発事故についていえば、放射線の被曝による健康被害は今後とも考えられない、というのが放射線医学のプロである中川氏の意見だ。それに反論するなら「データが不十分だ」などというごまかしではなく、具体的にどういうリスクがあるのか証拠を示してほしいものだ。

同じような論法は、別の記事にも見られる:
第一に、原発の危険性は死者数だけによるのではない。生態系が決して処理できない放射能を蓄積させる悪影響は、一体、どういうなるのか、だれも知らない。第二に、[チェルノブイリ事故の]死者数も、果たして100倍なのか、1000倍なのか、わからない。それに、低レベル被曝による死者数は、一般に因果関係の立証が困難なので、認定されていない。つまり泣き寝入りであるが、それはカウントされない。そういうわからない部分での隠蔽された危険が大きく、それが一体どうなっているのか、よくわからない、という点が、原発のリスクの嫌なところである。
これも「わからないから危険かもしれない」というだけで内容がない。チェルノブイリの死者は100倍でも1000倍でもなく、60人前後だというのがロシア政府の見解である。

「よくわからないから最悪の場合を考えよう」というのは、そこだけを取ればいいように見えるが、そのリスクをなくすために原発をやめたら、火力発電所を増設しなければならない。採掘や大気汚染による死者を考えると、原発より火力のほうが危険だというのが、OECDやWHOを含めて多くの専門家の意見である。

エネルギー問題は、きわめてリスクの大きな世界である。化石燃料のリスクについては、日本は石油危機でこりた。原子力にもリスクはあるが、問題はどっちのリスクが大きく、総合的にみてどっちが経済的なのかという相対評価である。絶対評価で見て原子力が危険であることは自明であり、それは「止めてしまうべきだ」という根拠にはならない。

私は具体的なデータを出して論じているのだから、それを批判するなら「話法」がどうとかではなく、低線量被曝に明らかなリスクがあり、原子力が他のエネルギーと比べて明らかに危険で不経済だという客観的データを出してほしい。アゴラへの投稿は、いつでも歓迎する。