K・A・ウィットフォーゲルの東洋的社会論ウィットフォーゲルというなつかしい名前が出てきたので、その研究書を読んでみた。これはマルクス業界では「アジア的生産様式」論争として有名な話題だが、去年話題になった『中国化する日本』とも関連する。

マルクスの『経済学批判・序言』には、有名な「唯物史観の公式」が書かれている。
大ざっぱにいって経済的社会構成が進歩してゆく段階として、アジア的、古代的、封建的、および近代ブルジョア的生活様式をあげることができる。
たったこれだけで、その後もマルクスは公表された著書ではこういう発展段階についてはくわしく語っていないので、この「アジア的」というのが「古代的」に先行する段階なのか、それとは別なのかという――マルクス主義に無関係な人にはどうでもいい――論争が半世紀近く続いた。

この論争は、1939年に『経済学批判要綱』として知られる『資本論』の草稿が発見されて、マルクス文献学としては決着した。その中の「資本主義的生産に先行する諸形態」としても知られる草稿で、マルクスはロシアや中国などの共同体を研究し、それが西洋とはまったく別の歴史をたどっていると考えていたからだ。これを表明したのが、晩年のヴェラ・ザスーリチへの手紙で、ここでは次のように、資本論の射程が西洋に限定されることを明言している。
資本主義的生産の創生を分析するにあたって、私は次のように言いました。「資本主義制度の根本には、それゆえ、生産者と生産手段との根底的な分離が存在する。これが根底的に遂行されたのは、まだイギリスにおいてだけである。……だが、西ヨーロッパの他のすべての国も、これと同一の運動を経過する。」(『資本論』フランス語版、315ページ)だからこの運動の「歴史的宿命性」は、西ヨーロッパ諸国に明示的に限定されているのです
マルクスの正統的な継承者だったドイツ革命が失敗し、それを「アジア的」に変形したレーニンと毛沢東が革命に成功したのは、彼らがその性格をよく理解していたからだ。西洋では国家に対抗する都市やギルドなどの中間集団が発達し、革命は都市を拠点とする「下からの」反乱だったが、東洋では専制君主が都市を支配しているので、皇帝の座を簒奪することがすべてなのだ。

マルクスもウィットフォーゲルも、日本については何も語っていない。それは中国の周辺地域としか思われていなかったのだろうが、これを逆転して西洋との類似点を発見したのが梅棹の独創だった。しかし彼のいう「生態系」は比喩以上のものではなく、権力論として考えると、日本はウィットフォーゲルのいう行政収穫逓減の法則によってできた権力の空白なのかもしれない。

アジア的生産様式においては、都市は自治体ではなく皇帝の統治機構の一環だが、それを隅々まで管理する利益は周辺部になると逓減し、行政コストを下回るようになる。こうした辺境では、専制体制の脅威にならない限り自由にさせておくことが中国の伝統的な統治方式だった。最終目的は皇帝の権力を守ることなので、行政資源を効率的に配分したのである。

だから中国の「亜周辺」だった朝鮮が苛酷な支配を受けたのに対して、完全な周辺だった日本は中国の支配をまぬがれた。共同体が戦争で破壊されないで平和的に成長したので、西洋と似た封建制(大土地所有)が成立した。これは網野的にいえば、日本が中国皇帝の権力の及ばない無縁の世界だったためで、戦争に勝ち抜くための都市国家連合である西洋の主権国家とは似て非なるものだ。

このように中国や韓国がアジア的だとすれば、日本はそれと根本的に異なるアジアの中の非アジア的社会である。だから鳩山由紀夫氏の「東アジア共同体」などというのはナンセンスで、日本はTPPを拡大したFTAAPで「西側」の一員として生きてゆくしかない。福沢諭吉の脱亜論は今も正しいのである。