ネットで話題になっているNHKの番組のコピーがあったので、見て驚いた。その内容にではなく、こんなデマを(自称ジャーナリストではなく)NHKが放送したことにである。

番組は「低線量被曝によって北欧ではチェルノブイリ事故後に癌が増加した」という話から始まり、スウェーデンのトンデルなる人物のインタビューを紹介する。彼の論文はバズビーが「福島では10万人が癌で死亡する」と予告したときの根拠にしたもので、その詳細はブログ記事で紹介されている。データを偽造して被害を誇張しているが、よく見ると低線量の発癌率は被曝量が増えると減っているというお笑いの論文だ。

そしてアメリカに飛んであちこちの原発訴訟の原告の「私は放射能で癌になった」という話を紹介するが、もちろんこんなアドホックな話は何の証拠にもならない。山場は今年10月、ICRP勧告の見直しをめぐって開かれた会議を取材し、元委員から「低線量被曝の基準を半分に緩和した」という証言を引き出す場面だ。

1980年代に広島・長崎の癌死亡率が1Svで5%だったのが、500mSvで5%にデータが修正されたとき、ICRPは勧告を修正しなかったという。その理由として、元委員は「政治的な判断だ」といい、番組は17人の委員のうち13人が原子力産業の出身者であることを紹介して「原子力村」の政治的圧力を示唆する。

これによってICRP勧告が緩和されたのならおもしろい話だが、残念ながら事実は逆なのだ。1990年に出されたICRP60号勧告では、職業被曝は年50mSvから5年100mSvに、公衆被曝は年5mSvから1mSvに規制強化されたのである。まさか原子力産業が規制強化を求めたわけではあるまい。

だから元委員が「政治的な判断だ」というのは正しい。これまで何度も紹介したように、科学的には100mSv以下の健康被害は証明できないのだから、20mSvも1mSvも科学的根拠のない政治的な数字なのだ。ところが取材したディレクターはこれを逆に解釈して「本来は健康被害があるのに政治的にないものと偽装した」と思い込み、「政府はリスクを正しく公開すべきだ」などと批判して番組は終わる。

思い込みの強い取材をプロデューサーが抑えて、NHKらしく両論併記にしているが、致命的な欠陥は、こうした「原子力村」説では、ICRP勧告が最近まで一貫して規制強化されてきたことを説明できないことだ。これは原子力関係者にも謎で、国際会議でもICRP勧告の緩和を求める声はほとんど出なかったという。おそらく各国の原子力村も「安全神話」にどっぷり漬かって、事故は起こらないと思い込んでいたのだろう。

線量基準は普段は大した問題ではないが、現在のような「有事」になると、除染ひとつをとっても1mSvか20mSvかで兆円単位の差が出る。NHKが追及すべきなのは、つまらない歴史的経緯ではなく、このような不合理な規制を放置して納税者に数兆円の負担を強いるべきなのかということだ。

追記:ツイッターで教えてもらったが、ICRPの線量評価は「驚くべき事実」でも何でもなく既知の話らしい。ネットに書いてある与太話をスウェーデンやアメリカまで取材に行ったのは受信料の無駄づかいだ。