ざっと目を通しただけだが、福島原発事故についての政府の事故調の中間報告は力作だと思う。これまで指摘されていた問題点がほとんどで目新しさはないが、それを関係者の供述で精密に裏づけている。これだけ質の高い700ページもの報告書を半年足らずで書いたことは、日本の官僚機構の実務能力の高さを示すものだが、政府の責任追及はこれからだ。これは国会の事故調がやらないとむずかしいだろう。

細かい点でいうと、非常用復水器や高圧注水系の操作を誤ったことに多くの記述が割かれているが、これは事故の決定的な要因とはいえない。消防車による注水が遅れたことや海水の注入をめぐる菅首相の干渉なども、これまで指摘されていた話だ。根本的な問題は、やはり大津波を想定して予備電源を分散していなかったことだ。これについての畑村氏の記者会見の言葉は、名言である。
人間は行動する前に、その範囲を決めなければなりません。外側については考えなくなります。外側の領域が想定外です。存在自身を気付かなくなっています。想定外の事象が起こった時に初めて、その存在に気づくのです。
カーネマンも指摘するように、判断の対象を限定するフレーミングは意思決定の必要条件だが、人々はその外側には盲目になる。フレームを設定するシステム1の認知メカニズムは通常は機能しないので、人は盲目であることに盲目になってしまうのだ。だから想定が正しいかどうかを自問することはあまり意味がなく、そのフレームを共有しない他人の話を聞くことが大事だ。
We're blind to our blindness. We have very little idea of how little we know. We're not designed to know how little we know. Most of the time, [trying to judge the validity of our own judgements] is not worth doing. But when the stakes are high, my guess is that asking for the advice of other people is better than criticising yourself.
今回の事故の原因も「安全神話」というより、あまりにも長い期間、苛酷事故がなかったためにフレーミングが固定してしまった安全ボケといったほうがいい。それは平和ボケと同じで、ある程度は避けられない。

今もっとも恐いのは、低金利ボケだろう。「いくら政府債務が積み上がっても長期金利は低いので大丈夫」という人々は、「今まで10mを超える津波は来なかったので、これからも来ない」と考えた東電と同じである。

蛇足:どうでもいいけど、概要版のファイル名が"HonbunGaitou.pdf"になっているのはいただけない。