渡辺京二傑作選① 日本近世の起源 (新書y)消費税が、また政局の焦点になってきた。与野党ともに増税の必要を認めているのに、「マニフェスト違反だ」といった手続き論で不毛な議論が繰り返されるのは、要するに選挙が恐いからだ。それにしても、日本人はなぜこれほど消費税がきらいなのだろうか。

ほんらい税金は自分の受ける公共サービスのコストを自分で負担するのだから、本質的な選択は歳出を増やす段階で行なわれるのであり、それを税で負担するか国債で負担するかは大した問題ではない。しかし日本では負担と受益の関係がはっきりしないので、とりあえず歳出だけ増やして負担は先送りしたいと考える。これは税金を一方的に取られる(公共サービスと無関係な)年貢のようなものだと思っているからだろう。

こうした意識は、近代以前から継承されたものだ。百姓一揆の原型は戦国時代に始まった一向一揆だが、それはマルクス主義的な歴史家のいうような「民衆反乱」ではなかった。本書も指摘するように、当時はまだ武士と農民が階層分化しておらず、本願寺も領主の一つだった。それが織田信長に滅ぼされたのは、本願寺の側から信長を攻撃したからであって、その逆ではない。

一向一揆が信長を攻撃したのは、彼が本願寺の不輸・不入の権を認めなかったからだ。これは荘園に一種の独立を認めて課税しない制度で、戦国時代にはほとんどなくなっていたが、本願寺だけは「聖域」として残っていた。信長はその既得権を剥奪して全国を統一しようとしたので、本願寺がこれを攻撃したのだ。石山本願寺は宗教団体でも農民反乱でもなく、11年にわたって信長と闘った武装集団だった。

浄土真宗(一向宗)は、親鸞の時代にはキリスト教のような普遍主義的な面があったが、蓮如以降は現世利益的な志向を強め、世俗的な領主になろうとして敗北した。この結果、領主としての本願寺は解体され、刀狩りによって武士と農民が分化し、農民がみずから権力を取るための闘争はなくなった。これが政教分離によってキリスト教が欧州全域の精神的なインフラになった西洋との岐路だった。

西洋では、キリスト教や教会法という普遍的な価値を基準にして、武装した市民を(理念としては)主体とする主権国家が誕生したが、一向宗が挫折した日本では、武装解除された百姓が武士に秩序維持をゆだね、主従関係が固定された。ここでは年貢は、反対給付のない負担であり、少ないに越したことはない。このため定期的に百姓一揆が起こるが、それは一向一揆のような権力闘争ではなく、年貢をまけてもらうための「春闘」のような儀式として合法化された。

このように自分の受ける公共サービスのコストを自分で負担するという納税者意識が育たなかったことが、昔の社会党から現在の民主党に至る国にサービスを求めるが負担は拒否する万年野党意識が広く根づいた原因である。こういう矛盾した行動は、普通は財政破綻をもたらすのだが、幸か不幸か日本では民間の資金需要が低迷しているため、国債発行で矛盾を先送りできた。

しかし破綻を永遠に先送りすることはできない。徳川幕府が崩壊した原因も「維新の志士」の活躍ではなく、封建領主の割拠によって農業生産力が停滞し、その上前をはねる幕府の財政が破綻したためだ。自民党や民主党のような「江戸時代」的な支配が、長く維持できないことは明白である。それを倒すのは消費税を拒否して年金の維持を求める「百姓一揆」ではなく、負担と受益の関係を自覚する納税者の反乱だろう。