自民党の青年局長になった小泉進次郎氏は、谷垣総裁が「米国と組み過ぎて中国やアジアをオミットするのは日本にとってよくない」などと発言したことを強く批判し、「日本の経済も外交も日米が基軸だ」と強調した。これはいいポイントだ。TPPは経済的には大した意味がないが、アジアの経済統合を日米基軸で進める日米経済同盟としての外交的な意味は大きい。

およそ政策らしい政策のなかった自民党が戦後、日本をここまでにしたのは、日米同盟という政策が正しかったからである。これは今では当たり前に見えるかもしれないが、日本の「論壇」ではサンフランシスコ条約の前から、社会主義国も入れた「全面講和」を結んで「非武装中立」で行くべきだという論調が主流だった。もし政府が全面講和の方針を取っていたら、いまだにどこの国とも平和条約は結べていない。

戦後の日本がアメリカによる一種の植民地支配のもとにあったとみることは可能だが、これはなんと鷹揚な宗主国だったことか。もし敗戦でアメリカではなく中国が日本を占領していたら、おそらくチベットのように自由も富も奪われているだろう。中国とは、数千年前からそういう国なのだ。

開かれた社会という点では西洋と中国は似ているが、法の支配と専制支配という点では対照的である。Jacquesもいうように、これはどちらがいいとも言えない。西洋の主権国家は、絶え間ない戦争を勝ち抜くことに最適化した軍事国家であり、非人格的な(国王によらない)法の支配は、貴族が国王と闘う武器だった。

これに対して中国では平和が何よりも重要と考えられていたので、内乱の原因となる貴族は10世紀までに絶滅され、皇帝が全国を直接支配する官僚支配が確立した。これに対して200~300年に1度、農民反乱が起こって新しい王朝ができるが、支配構造は同じである。現在の中国共産党はマルクス主義とは何の関係もなく、きわめて伝統的な中国の王朝である。

そこでは魯迅も嘆いたように、国家権力と個人が直接むきあい、個人が政治に翻弄される。毛沢東の行なった大躍進や文化大革命による死者は、合計1億人近いともいわれる。中国は、国家としての平和を守るためにおびただしい人命が皇帝の犠牲になる国なのだ。そして現在の王朝は、本質的に毛沢東の時代と変わっていない。

日本がアジアの経済統合を進めるとき、どちらの国を基軸にすべきかは明らかだろう。私はアメリカがすばらしい国だとは思わないが、国民を大量虐殺することはない。鳩山元首相など「東アジア共同体」を唱える人々は、言論の自由もない国との関係を基軸にした外交が可能だと思っているのだろうか。小泉氏もいうように、自民党は日米同盟を基軸にした積極的な経済外交を掲げて闘うべきだ。それが彼らの唯一の取り柄なのだから。