Thinking, Fast and Slow本書は著者がノーベル賞講演で示した枠組を一般向けに敷衍し、行動経済学をデカルト以来の「意識中心主義」を否定する知的な革命として位置づけるもので、社会科学を学ぶ者すべての読むべき21世紀の古典となるだろう。ナシーム・タレブは、本書に最大級の賛辞をささげている。
“This is a landmark book in social thought, in the same league as The Wealth of Nations by Adam Smith and The Interpretation of Dreams by Sigmund Freud”
もっとも著者はそういう大げさな言葉は使わず、具体的な実験で淡々と「人間が意識的に行動している」という新古典派経済学の神話を反証する。その原因は、脳がきわめて非効率的にできているためだ。脳の重さは体重の2%程度だが、基礎代謝の20%も消費する。このため、なるべく直感的なシステム1で情報を処理し、意識的なシステム2の負荷を小さくしようとする。これが拙著『イノベーションとは何か』でも紹介した、彼の2段階モデルである。
kahneman

このモデル自体は著者の独創とはいえず、システム1はフロイトが「無意識」と呼び、ポランニーが「暗黙知」と呼んだものに近い。しかし著者はシステム1をフロイトの無意識のような神秘的な存在と考えず、システム2の遅い思考と互換的な速い思考と考える。たとえばピアノの演奏を最初に習うときはシステム2で意識して鍵盤をたたくが、システム1で自動的に指が動くようにならないとピアニストにはなれない。

逆にシステム1による自動的な情報処理が、うまく機能しないことがある。それが著者の初期の業績でバイアスとして示されたものだ。本書にもバイアスの例がいろいろあげられているが、これは「不合理な行動」ではなく、むしろ脳の機能としては合理的に(システム2の処理を省略して)速く処理する結果なのだ。そして現実の人間の知的な処理の大部分は、システム1で無意識に行なわれる。

このシステム1とシステム2の役割分担は、人によっても文化圏によっても違う。日本人に応用すると、日本の製造業の「すり合わせ」の効率性は、システム1で情報処理していることによるのではないか。誰も命令しなくても多くの人々が整然と行動する日本人の特長は、震災でも世界から称賛されたが、システム1で共有している情報が多く、人々の均質性が高いためだろう。

しかし、このように意識的な処理を省いた効率的な行動は、大きな変化に直面したとき困る。たとえばTPPに参加するか否かという問題は、システム2で論理的に処理しなければならないのに、システム1で過剰なコンセンサスを求め、みんなの意見をまとめようとする結果、民主党政権のような堂々めぐりが起きてしまう。

逆にアメリカ人はシステム1で共有している情報が少ないため、ほとんどの処理をシステム2で行ない、問題を契約や訴訟で論理によって解決しようとする。このような情報処理は効率が悪いのだが、システム1が個別の文化圏に依存するのに対してシステム2には普遍性があるため、新古典派的な合理主義が一定の有効性をもつ。

しかしアメリカでも実はシステム1の処理のほうが多く、それを無視して制度を「合理主義」で設計するとうまく機能しない。人々が資源配分の効率を犠牲にして所得分配の公平を求めるバイアスは万国共通であり、これは人類が小集団で行動していたとき群淘汰によって形成された本能だろう。

こうしたバイアスを不合理と切り捨てるだけでは、経済学者は世間からも政治家からも相手にされないので、人々のバイアスに配慮したlibertarian paternalismも必要になろう。この観点から著者はシカゴ学派的なリバタリアニズムには否定的だが、それをどうチューニングするかについては明確な結論は出ていない。