最近の朝日新聞の激しい反原発キャンペーンは、戦時中の記事を思い起こさせる。当時もっとも過激な戦意昂揚記事を書いたのは、朝日だった。たとえば1945年8月14日の社説は、次のように書いて本土決戦を主張した:
原子爆弾は相当の威力を持つものに違いない。しかしながら、すべて新兵器は最初のうちは威力を発揮しても、やがてその対策の樹立されるに及んで、その威力をとみに減殺されることは従来の事実がこれを証明している。[・・・]敵の暴虐に対する報復の機は、一にこの国民の胸底に内燃する信念が、黙々としてその職場において練り固めつつある火の玉が、一時に炸裂するときにある。
原爆が落とされ、ポツダム宣言も受諾したのに、まだ「敵の暴虐に対する報復」をあおっている。ところがその翌日、戦争に負けると、朝日は一転して「平和国家を確立せん」という社説を掲げ、憲法制定後は「平和憲法擁護」のキャンペーンを張った。

同じように1970年代の石油危機後、原発推進の空気が醸成されると、朝日は激しい原発推進キャンペーンを張った。その先頭に立った大熊由紀子記者が1977年に出した『核燃料』という本は「重大事故の確率は140万炉年に1回」という電力会社の説明を真に受けて、「地震が来ても大丈夫」と強調した。

その140万炉年に1回しか起こらないはずの重大事故が、この本の出版された2年後にスリーマイル島で起こり、9年後にチェルノブイリでは多数の死者が出た。そして今度の原発事故は、朝日にとっての「8月15日」だったらしい。社説では一転して「原発ゼロ社会」キャンペーンを張り、大野博人オピニオン編集長はこう宣言する:
脱原発について、できるかどうかから検討するというのでは、まるで3月11日の事故が起きなかったかのようではないか。まず「原発をやめるべきかどうか」について覚悟を決め、「やめることができるかどうか」が突きつける課題に挑む。福島の事故は、考え方もそんな風に「一変」させるよう迫っている。
これは1945年8月14日の社説と、気味が悪いほど似ている。共通しているのは、可能か不可能かを考えず、理想を掲げて強硬な方針を唱える姿勢だ。戦時中は大本営に迎合し、敗戦すると一転してGHQに迎合する。高度成長期には電力会社に迎合して原発推進キャンペーンを張り、事故が起こると一転して「原発ゼロ」に転向する。福島事故は、朝日新聞にとっての「第二の敗戦」なのだ。

「空気」を読んで大衆に迎合する朝日新聞の姿勢は、見事に一貫している。それは新聞の販売促進策としては正解である。読売や産経のようにオーナーが自民党や財界とつながっていないと、新聞は左翼的なバイアスをもつ。それは政府を支持するより批判したほうが売れるからだ。

このような傾向は朝日新聞に限らない。日本で秀才と呼ばれるのは先生の意図に迎合して答案を書ける学生であり、出世するのは上司の意図を忖度して企画を出す社員だ。空気には「ネットワーク外部性」があるので、いったん支配的になった空気は、破局的な事態に直面するまで変わらない。そして最終的に破綻すると、空気は一挙に変わる。

これを「日本的ジグザグ型進化」と呼んだのは山本七平だった。彼は70年代の反公害運動を冷静に分析し、そこに日本軍と同じ行動を見出した。その分析はかなり複雑なので、別の記事で解説しよう。