イノベーションとは何か震災で完成が遅れたが、私の講義録の配本が始まった。発売は28日だが、アマゾンでは予約を受け付けている。アゴラ起業塾も、おかげさまで残席わずか。例によって、まえがきと目次を抄録しておく:

東日本大震災の衝撃から日本経済はようやく立ち直りつつあるが、経済成長の見通しはきびしい。内閣府や日銀の推計では、2011年の実質成長率はほぼゼロ%となる見通しである。震災復興の需要などで短期的にはGDP(国内総生産)は回復するが、財政支出の増加によって政府債務は膨張し、財政危機の顕在化が早まったと思われる。

今のところは被災地や原発など目の前の問題に関心が集中しているが、今回の震災の最大の経済的影響は長期的な日本経済の供給力が低下したことだろう。特に原発事故による電力不足への対応を政府が誤って問題を長期化させ、エネルギーコストの増加をまねいて産業の「空洞化」を促進した。もともと日本は労働人口の減少によって供給力が低下しているが、震災で資本設備が失われたことを考えると、生産性を上げないと停滞から衰退に移行するおそれが強い。
 
生産性を上げるためにイノベーションが必要だ、というのは以前からいわれているが、具体的に何をすればいいのかはよくわからない。企業も「イノベーションが大事だ」というが、やっていることは今の製品に新しい機能を付け加える「改良」ばかり。もちろん改良や品質管理は重要だが、日本の企業はそれだけでは生き残っていけない。かつてアメリカをまねる立場だったときは、同じ目的をいかに効率よく達成するかが重要だったが、新興国にまねられる立場になった今は、目的そのものを発見する方法論が必要になる。
 
「イノベーションの何とか」と題したビジネス書はたくさん出ているが、そのほとんどは過去の成功事例を列挙して結果論を述べたものだ。たとえば「スティーブ・ジョブズは大好きなことをしたからイノベーションを実現した」という事実が正しいとしても、そこから「大好きなことをすれば常にイノベーションが実現できる」という法則は導けない。成功事例を事後的に説明することは容易だが、理論なしにデータをいくら集積しても、どうすれば成功するかは事前にわからないのだ。
 
他方、経済学にはイノベーションについての理論がまったくない。最近は少し出てきているが、その多くは「イノベーションが経済成長にもっとも重要だ」という事実を証明するもので、どうすればイノベーションが生まれるかにはほとんどふれていない。それは当然で、伝統的な経済学では企業がどうやって利潤を最大化するかは市場の外の問題で、経済学の対象ではないからだ。
 
このため、イノベーションは経営学では非常に多く言及されながら理論は無に等しく、経済学では対象外にされたエアポケットのような状態にある。しかしイノベーションが成長にとってもっとも重要だとすれば、その法則を理論的に分析することは経営者だけではなく政策担当者にとっても必要だろう。本書の柱となる仮説を最初に列挙すると、以下のようなものだ。
  1. 技術革新はイノベーションの必要条件ではない:すぐれた技術がだめな経営で成功することはまずないが、平凡な技術がすぐれた経営で成功することは多い。重要なのは技術ではなくビジネスモデルである。
  2. イノベーションは新しいフレーミングである:マーケティングで顧客の要望を聞いても、イノベーションは生まれない。重要なのは仮説を立て、市場の見方(フレーミング)を変えることである。
  3. どうすればイノベーションに成功するかはわからないが、失敗には法則性がある:大企業が、役員の合意でイノベーションを生み出すことはできないし、特許のノルマでイノベーションが生まれることもない。
  4. 「ものづくり」にこだわる限り、イノベーションは生まれない:特に情報産業の中心はソフトウェアであり、それは同じ製品を大量生産するものづくりではなく、すぐれた作品をひとつだけつくるアートだから、要求されるスキルが製造業とはまったく違う。
  5. イノベーションは突然変異である:プラットフォーム競争は論理による説得ではなく多数派工作だから、よいものを安くつくれば競争に勝つとは限らない。むしろ新しい突然変異が生き残るような環境をつくることが重要だ。
  6. イノベーションにはオーナー企業が有利である:事業部制のような複合型組織は、規模の経済の大きい製造業では有効だが、ソフトウェアを中心とする情報産業ではオーナー企業が有利である。
  7. 知的財産権の強化はイノベーションを阻害する:特許や著作権がイノベーションに与える影響は、中立かマイナスという実証研究が多い。いま以上の権利強化は法務コストを増加させ、イノベーションを窒息させる。
  8. 銀行の融資によってイノベーションは生まれない:ハイリスクの事業を行なうには、株式などのエクイティによって資金調達する必要がある。銀行の融資や個人保証は危険である。
  9. 政府がイノベーションを生み出すことはできないが、阻害する効果は大きい:政府はターゲティング政策からは手を引き、インフラ輸出などの重商主義的な政策もやめるべきだ。
  10. 過剰なコンセンサスを断ち切ることが重要だ:イノベーションを高めるには、組織のガバナンスを改める必要がある。特に日本的コンセンサスを脱却し、突然変異を生み出すために、資本市場を利用して組織を再編することが役に立つ。
本書の想定する読者はビジネスマンだが、経済学部やビジネススクールの教科書としても使えるように書いた。「こうやればイノベーションができる」というハウツー本ではないが、イノベーションを抽象的に論じても意味がないので、なるべく多くの事例で説明した。そのほとんどは、私が直接間接に知っている情報産業に限られているが、他の業界にも通用すると思う。


目次

第1章 イノベーションはどこから生まれるか
  • マーケティングの神話/ビジネスモデルが技術に先立つ/イノベーションは技術革新ではない・/初めに仮説ありき/フレームは計算で決まらない/フレーミングと参照点/意思決定の2段階モデル/脳は物語をつくる/ 理性は感情の奴隷/「変人」がイノベーションを生む
第2章 フレーミングの転換
  • 破壊的イノベーション/インターネットへの適応と不適応/日本企業は偉大なイノベーターだった/日本型組織の強みと弱み/コンセンサスの罠/新興国の「逆イノベーション」
  • ケース1:任天堂の「水平思考」
第3章 プラットフォーム競争
  • 標準化は協調ではなく闘争である/勝敗を決めるのは商品の優劣ではない/イノベーションは突然変異である/ガラパゴス携帯の黄金時代/iモードの奇蹟/携帯からスマートフォンへ/ソフトウェア産業の壊滅/中央研究所の終わり/オープン・イノベーション
  • ケース2:IBM-PC対クローン
第4章 ものづくりからアートへ
  • 情報産業はソフトウェア産業である/エンタメ化するソフトウェア/コンセプトの統一性/試行錯誤と決断/株式会社というイノベーション/日本企業は労働者管理/約束を破るメカニズム/オーナー企業の時代/ユニクロの「一勝九敗」
  • ケース3:スティーブ・ジョブズの「自閉的」戦略
第5章 起業とファイナンス
  • ベンチャーと自営業/よい起業と悪い起業/日本の起業家精神/企業から個人へ/クラウド化するIT企業/ファイナンスとイノベーション/ベンチャー企業とエクイティ/擬陽性と擬陰性
  • ケース4:ITバブルからウェブ20へ
第6章 成長のエンジン
  • スミスからマルクスへ/創造的破壊による新陳代謝/成長理論とイノベーション/高度成長は奇蹟だったのか
  • ケース5:ソフトバンクのまぐれ当たり
第7章 知的財産権はイノベーションを高めるか
  • 「知的財産権」は財産権ではない/著作権の経済効果/イノベーションの累積効果/シュンペーターの逆説/情報の個人化/オープンソースという反例/著作権よりビジネスモデルで
  • ケース6:電子書籍
第8章 日本の挫折
  • 「日本株式会社」の神話/通産省が情報産業をミスリードした/日の丸検索エンジン/産業政策はなぜ失敗するのか
  • ケース7:ソニーの挫折
終章 イノベーションの可能性
  • コンセンサスを断ち切る/突然変異と多様化/新しいモビリティを求めて