JBpressの編集長が「テロ攻撃に遭えば、原子炉が巨大な原爆に早変わりする」と書いているのには驚いた。日本人の中には、いまだに「原発=原爆」という連想があり、それが問題を必要以上に複雑にしている。

これはレイコフのいう政治的メタファーである。彼はアメリカの政治的な言説を分析した結果、政治がカーネマンのシステム2(論理)ではなく、システム1(直観)のレベルで決まることを見出した。Kahneman-Renshonは、イラク戦争が失敗した原因について、タカ派は次のような大衆のバイアスに迎合したと分析している:
  • 帰属エラー:事件の原因を環境ではなく個人の責任とみなす(アルカイダさえ撲滅すればテロはなくなると信じる)
  • コントロール幻想:外界の出来事をコントロールできると信じ、できないと思う出来事をきらう(テロに備えるより戦争で根絶したい)
  • 代表性バイアス:よく知られた出来事を挙げると、それが発生する確率も高いと信じる(テロのリスクが非常に高いと誤認する)
日本人にあてはめると、原発事故の原因は地震ではなく東電の無能な経営者のせいであり(帰属エラー)、原発事故は恐いが、交通事故で毎年5000人死ぬのはコントロールできるから恐くない(コントロール幻想)。原発事故が毎日ニュースに出てくると、発生確率が高いと誤認する(代表性バイアス)。

Kahneman-Renshonは、アメリカ人の場合には楽観バイアスが働いて戦争に突入したとしているが、日本人の場合には損失回避バイアスが働いて、逆にすべての原発を止めようという方向に走っている。いずれの場合にも、大衆の動向を決めるのは論理ではなく感情であり、ブッシュ政権は意図的にそういうバイアスに迎合する戦術をとった。

人々は複雑な環境要因はよくわからないし考えたくもないので、勧善懲悪の二項対立を好む。9・11の場合には「悪いアルカイダ」対「よいアメリカ」という二項対立が形成されたが、福島事故の場合は「悪い核」対「よい自然エネルギー」という二項対立ができ、大衆はその枠内でしか考えない。そして村上春樹氏も孫正義氏も菅首相も、核のメタファーで考えて「原発ゼロ」というナンセンスな答を出す。

レイコフやカーネマンもいうように、こうしたメタファーを論理で是正することは、彼らがそのバイアスを自覚しないかぎり不可能だ。メタファーは身体にかかわることが多いので、戦争や原発事故といった生存にかかわる恐怖によって形成されたバイアスは強力で、論理を受け付けない。人々が自覚していないバイアスを「脱構築」するには、大停電のような身体にかかわる演劇的な装置が必要だろう。