きのうの首相会見は、浜岡原発停止の「要請」と同様、何の法的拘束力もない個人的な感想にすぎない。早くも枝野官房長官が「首相は脱原発依存とは言っていない」と軌道修正している。自民党も批判しているが、「原発ゼロ社会」とやらを提唱した朝日新聞も含めて、何か勘違いしているのではないか。

私が取材した電力会社や関連会社の社員の感想は「今度の事故で、日本では原発の新設は不可能になった」という点で一致している。建設中のものは何とかなるかもしれないが、新規の計画は地元の同意がまず得られない。また事故の賠償について「暗黙の政府保証」が外れた以上、1回の事故で会社が破綻するようなリスクを民間企業がとることはできない。原発の国有化でもしない限り、原発が減るという意味での「脱原発」は不可避なのだ。

首相会見を与謝野馨氏が批判しているが、これはミスリーディングである。長期的に寿命の尽きた原発を火力に代替する脱原発は、電力コストにはほぼ中立だ。ガスタービンに代替すれば、コストが下がる可能性もある。問題は、今すぐすべての原発を停止する反原発で、これは与謝野氏もいうように数兆円の損失をもたらす。

これまで電力会社は国策にそって原発を進めてきたが、事故が起こると国が逃げることが判明した以上、電力会社が政府に協力するいわれはない。さらに電力自由化が進めば、アメリカのように新規の原発は凍結される可能性が高い。これは原発のROAが低いためで、市場メカニズムによる健全な代替効果である。それによって火力発電が増えると大気汚染や温室効果ガスは増え、健康被害も増えるが、それは「安心のコスト」と割り切るしかない。

だから一部議員の提唱している「脱原発の国民投票」なんてナンセンスで、ほっておけば原発は減ってゆく。しかし国の安全基準を満たしている原発を恣意的な基準で止めることは許されるべきではない。これは方針が二転三転してきた民主党政権にも責任があるが、法的には電力会社が定期検査を終えて再稼働を申請すれば、それを認可するのは国の権限である。自治体との「安全協定」には法的根拠はない。

・・・という法律論で打開できないのは、他ならぬ首相が法的根拠のない「要請」で浜岡を止めたからだ。まず彼が辞任することが、打開の第一歩だろう。