今の日本の状況は、10年前のアメリカに似ている。9・11の直後は、リベラル派のNYタイムズもブッシュ政権の戦争を熱烈に支持し、シリコンバレーで設立されるベンチャーはセキュリティがらみばかりになり、「セキュリティ・バブル」と呼ばれた。日本でも科研費の最大の重点がセキュリティになり、私も某大学の「セキュリティの何とか」と題したプロジェクトに参加して論文を書いたが、中身はセキュリティとは何の関係もなかった。

ここから類推すると、今の放射能バブルはこれから役所や大学に広がり、再生可能エネルギーの研究にまた公費が投入されるようになるだろう。しかしセキュリティ・バブルのときシュナイアーガードナーなどリスク管理のプロが指摘したように、テロの脅威などというものは普通の人にとって意味のない問題である。同様に、あなたが原発によって命を落とすリスクもゼロに等しい。

シュナイアーも指摘するように、セキュリティは価値中立ではなく、きわめて主観的なアジェンダ設定に依存する。そのアジェンダにも次のようなバイアスが見られる:
  • 人々は劇的だが小さなリスクを過大評価し、ありふれた大きなリスクを過小評価する:テロや原発は前者、タバコや交通事故は後者だ。
  • コントロールできそうなリスクは過小評価される:飛行機事故はコントロールできないので恐いが、自動車事故は自分でコントロールできる(と思う)ので恐くない。
  • 人々はリスクの絶対量ではなく、新しいリスクに強く反応する:毎年、世界で300万人以上がエイズで死んでいるが、もう誰も話題にしない。
このようなバイアスについて行動経済学で分析すれば、かなり明確な法則性が見出せるだろう。カーネマンは意思決定を直観的なシステム1と論理的なシステム2に分類し、人々はまずシステム1で反射的に判断してアジェンダを設定し、その中でシステム2で推論すると考えたが、不安や恐怖は特にシステム1の影響が強いので、いったん「放射能は恐い」というアジェンダが設定されると、論理によって変えることはむずかしい。

金融政策では、FRBは「バブルは同定できないので事前に防止できない」という方針だが、BISは「他の資産価格と比較すればバブルは同定できる」という見解を取っている。原発のリスクも、確率で割り引いて他と比較すれば、交通事故や喫煙よりはるかに小さい。今回の震災に限っても、津波で2万人以上が死亡したが、原発の放射線では1人も死んでいない。したがって同じ規模の大震災に備えるなら、政府は全国の10m以上の堤防のない海岸地域に住む人を移住させるべきだ。それをしないなら、原発を止める理由はない。

バブルの本質は、多くの人々が「空気」に影響されて不合理な行動に同調する群衆行動である。こういうとき大事なのはリスクを定量的に算出し、それを他と比較してアジェンダ設定を見直すことだ。客観的にみれば、1000年に1度の大震災に備えて全国の原発を止めるのは明らかにナンセンスなので、放射能バブルは同定できる。政府の仕事はそれを増幅することではなく、早期に終息させることである。