20110611k0000m040021000p_size5村上春樹氏のカタルーニャ国際賞の受賞スピーチが話題になっている。エルサレム賞のときは、私が好意的に紹介したら大反響があったが、今回のスピーチは感心しない。

特に驚いたのは、次の一節だ:
広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。

「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。
この碑文については長い論争があり、主語のない曖昧さが日本人の戦争に対する無責任な態度をあらわす悪文の代表とされてきた。原爆について謝罪しなければならないのは日本人ではなく、国際法違反の爆撃を行なった米軍である。それを占領軍の圧力によって「核」一般の問題にすり替え、「人類の平和への願い」を説いてきたのが、大江健三郎氏に代表される戦後の「進歩的知識人」である。

村上氏はその下の団塊の世代だが、彼の核についての考え方が大江氏とまったく同じなのには失望した。彼は原爆と原発を同列において、日本の戦後を「効率至上主義」だとし、それを疑う人は「非現実的な夢想家」とされてきたという。
日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。
これが団塊の世代の(凡庸な)歴史認識なのだろうが、彼の論旨とは逆に日本は戦後、一貫して「非現実的な夢想家」だったのだ。戦争を放棄して軍隊をもたないという非現実的な憲法を持ち、「非武装中立」という夢想を掲げた野党を進歩的知識人やメディアは支持し続けた。しかしいくら夢想しても、世界から戦争はなくならない。日本が戦争に巻き込まれないですんだのは、平和憲法ではなく駐留米軍と「核の傘」のおかげだった。村上氏のきらう核が、日本の平和を維持してきたのだ。

「アゴラ」にも書いたことだが、こうした「平和主義」は日本の伝統である。争いをきらって妥協で紛争を処理し、強いリーダーを引きずり下ろすことによって、日本は世界にもまれな平和を維持してきた。しかしこのような中間集団のコンセンサスで動く組織原理が、救いがたい政治の混迷をまねいている。村上氏のメッセージとは逆に、日本は1000年以上にわたって「非現実的な夢想家」だったし、それはたとえ憲法を変えても変わらないだろう。