原発を批判するとき「核のゴミが処理できない」とか「何百年後までも管理しなければならない」といった話がよくある。先日のインタビューで河野太郎氏も、日本の核燃料サイクルは破綻していると指摘していた。

最終処理は国内でできず、六ヶ所村の中間処理場も稼働していないため、核のゴミは満杯で、特に福島第二原発に貯蔵されている使用ずみ核燃料はキャパシティが限界に来ているという。経産省の官僚が書いた怪文書「19兆円の請求書」のいうように、核燃料サイクルにこれ以上コストをかけることは正当化できない。地下数百mに埋めることは可能だが、周辺の住民が反対するので国内では困難だろう。

しかしこの問題の解決は、技術的には容易である。大前研一氏もいうように、再処理なんかしないで、放射性廃棄物をドラム缶に入れて日本海溝の底1万mに投棄すればいいのだ。しばらくするとプレートの中にもぐりこんで危険はなくなる。海洋投棄はロンドン条約で禁止されているので法的には不可能だが、これには政府内でも異論があり、条約を脱退すれば投棄できる(半年前に通告するだけで脱退できる)。

もう一つの解決策は、毎日新聞が報じたようにモンゴルなど途上国に核のゴミを「輸出」することだ。これは経産省が進めていたが、外務省が反対して止まっている。しかし貯蔵するだけなら、途上国に開発援助と交換で引き取ってもらうことは可能である。世界には人の立ち入らない砂漠や山地はいくらでもあり、有害な産業廃棄物も放射性物質だけではない。これは有害な廃棄物の不法投棄を禁じたバーゼル条約に違反しないように注意が必要だが、当事国の合意があれば海外投棄は可能である。

最大の障害は、こうした「公害の輸出」に対する政治的な反対が強いことだ。毎日新聞は核のゴミの輸出が犯罪であるかのように騒いでいるが、モンゴル政府は合意しているのだから、これはパレート効率的な取引であり、温室効果ガスの排出権取引と同じ「コースの定理」の応用だ。CO2ならいいが核のゴミはだめというのは、筋が通らない。

河野氏も「海外投棄はビジネス的には可能だが、国際世論が許してくれるかどうか」と言っていたように、これはもっぱら政治的な問題である。逆にいえば、日本政府の政治的意志が明確なら、取引に応じてくれる途上国はいくらでも見つかるだろう。再処理をやめれば、原発のバックエンドのコストは大幅に下がり、その経済性も高まる。原子力は政治的なエネルギーであり、それを解決するのも政治しかないのだ。