福島第一原発事故による損害と補償で、東電が企業として存続できるかどうか疑問になってきた。銀行は1兆円以上の協調融資をする予定で、政府も援助を検討している。原子力損害賠償法では、電力会社の賠償の限度額を1200億円と定め、それ以上の損害については政府が一部を補助することになっているが、今回のような巨額の賠償は想定されていない。1兆円を超えるともいわれる損害を納税者が負担することは、国会の同意を得られないだろう。

福島第二や女川などの原発が無傷だったのに、福島第一だけが致命的な事故を起こしたのは明らかに東電の過失である。特にJBpressにも書いたように、1号機と3号機の原子炉建屋が破壊されて大量の放射能を外気に放出したのは、経営陣の失敗である。また4号機の使用ずみ核燃料が火災を起こしてから冷却水の停止に気づくなど、信じがたい失敗が重なった。

損害と補償の合計額は数兆円規模とみられているが、年間の売り上げが5兆円を超え、多くの資産をもつ東電なら、自力で賠償できる可能性もある。少なくとも原子力損害賠償法による政府の援助は最小限にすべきだ。もちろん通常の資産処分だけではなく、社員の解雇を含む業務の合理化が必要だろう。しかし私がかつて東電の平岩元社長にインタビューしたときは、広報と秘書が7人も出てきた。かなり大量の余剰人員が残っているので、政府の援助を受けるのは彼らを解雇してからだ。

政府は特別立法によって震災の被害者を救済しようとしているが、その対象は被災者に限定すべきで、2次的な損害を受ける企業を救済すべきではない。Hoshi-Kashyapも指摘するように、1923年の関東大震災のとき「震災手形」を政府が保証して無原則に企業を救済したことが大量の不良債権を生み出し、1927年の昭和恐慌の原因となった。財政の悪化している現状では、これが財政破綻の引き金を引くリスクが大きい。

大災害の直後には、計画停電などの統制経済もやむをえないが、長期的にはこれをきっかけに従来の規制を見直し、電力事業への競争導入などの規制改革によって個人の自立をうながすしかない。東電が自力で経営できなければ、JALのように救済せずに清算して国有化し、徹底的に合理化すべきだ。それをモデルとして日本の企業が先送りしてきた経営と雇用の改革を実行するなら、日本経済が「焼け跡」から再生することも不可能ではない。