きのうのアゴラ連続セミナーではハイエクの話をしたが、おまけで出した次の図に質問が集中した。
リバタリアン・リベラル・コミュニタリアン
リベラルが政治的には自由主義でありながら経済的には規制を求めるのに対して、保守派(コミュニタリアンはここに含まれることが多い)は政治的には国家主義で経済的には規制反対だが、リバタリアンは政治的にも経済的にも自由主義である。イラク戦争に反対する一方で、オバマ政権の公共事業にも反対する。

日本の場合は、政治的にも保守的で経済的にも規制を求める国家資本主義がいまだに霞ヶ関の主流で、民主党の一部がリベラルだ。自民党の中では、小泉内閣は経済的には自由主義だったが、政治的には靖国参拝とかイラク戦争支持とか保守的で、アメリカ的保守主義に近い。それ以外の民主党・自民党の大部分は、思想もイデオロギーもない烏合の衆である。このように政策の対立軸がはっきりしないことが有権者を混乱させ、政治の混迷をまねいている。

こう整理すると、日本にはリバタリアンが皆無に等しいことがわかる。ポーター的なポジショニング理論でいうと、リバタリアンにもかなり市場があるはずなので、このポジションを取る政党があってもいい。みんなの党は小さな政府を標榜している点でこれに近いが、埋蔵金で財政が再建できるとか、インフレ目標でデフレから脱却できるとか、オカルト的な高橋理論に汚染されているので期待できない。

むしろきのう都知事選挙に出馬表明した渡辺美樹氏のように、地方から霞ヶ関を包囲するほうが有望かもしれない。原口一博氏が大阪維新の会と減税日本を糾合して「維新の会」をつくるという話もあるので、こっちのほうが期待できる。いずれにせよ、最大の敵は霞ヶ関の国家資本主義である。