橘玲氏の「サラリーマンはどのように絶滅していくのか?」というブログ記事で、ゲーム理論が誤って解説されている。こういう誤解はよくあるが、彼はよく読まれる作家らしいので、間違った話を繰り返すのはよくない。最大の間違いは、この記事と彼が引用している「アメリカはなぜ銃社会なのか?」という記事で異なる均衡を「ナッシュ均衡」という言葉で一くくりにしていることだ。

協力裏切
協力 2  0
裏切 3  1
米国日本
米国 2  0
日本 0  1

図は自分(左欄)と他人(上欄)の行動に対応する自分の利益(ペイオフ)をそれぞれ横軸と縦軸に書いた行列で、たとえば左の図は「自分も他人も協力したら利益は2、自分が協力して他人が裏切ったら0」などと読む(ペイオフは対称とする)。

銃規制(左側)は、私が4年前の記事でも書いたように囚人のジレンマである。他人が銃をもつ(裏切る)場合には、自分がもたない(0)よりもつ(1)ほうが有利だ。他人が銃をもたない(協力)場合も、自分も協力する(2)より自分だけもつ(3)ほうが有利なので、裏切りが最適戦略になる。これは他人にとっても同じなので、双方が銃をもつ相互裏切(1)が唯一のナッシュ均衡になる(橘氏は複数均衡があるように書いているがおかしい)。

他方、橘氏の理解している日米の雇用慣行(右側)は協調ゲームであり、これは他人が日本型なら自分も日本型(1)、他人が米国型なら自分も米国型(2)にする複数のナッシュ均衡がある。この場合、プレイヤーがどちらから出発するかによって異なる均衡に到達し、米国型から出発するとそこにとどまることがナッシュ均衡になる。

両者の違いは、囚人のジレンマでは社会的に望ましい状態(協力)がナッシュ均衡にならないのに対して、協調ゲームでは望ましい状態(米国型)がナッシュ均衡になることだ。したがって米国で人々が銃をもたないことは合理的ではないが、日本でみんなが転職することは合理的になりうる。転職する人の比率が十分多くなれば、日本的雇用慣行は崩れる。

ただ囚人のジレンマでも、長期的関係が維持できれば、協力を均衡(サブゲーム完全均衡)にすることができる。囚人のジレンマが「しっぺ返し」(tit for tat)で解決できるという都市伝説がまだあるようだが、これは理論的にも実証的にも間違いである。くわしい解説は、ビンモアの入門書を読んでください。