The Enlightened Economy: An Economic History of Britain 1700-1850 (The New Economic History of Britain seri)産業革命は、一般には多くの発明によって経済が爆発的に成長した時期だと思われているが、最近の研究では18世紀のイギリスで初めて生まれた技術というのは少なく、成長率もそれほど高くなかった。当時のイギリスに特徴的なのは、このようなイノベーションが長期にわたって続き、ビジネスに応用されたこと、そしてそれが奨励されたことである。

これは当たり前のようだが、キリスト教では人間はアダムとイブの時代から堕落を続けており、社会が進歩するという思想は異端だった。Innovationというのは非難の言葉であり、スコットランド啓蒙思想の中心人物ヒュームは、無神論者とみなされて一生アカデミックな地位を得られなかった。啓蒙というのは、神に代わって人間が自然をコントロールする思想だったからだ。

啓蒙思想は、教皇や君主ではなく国民がみずからを統治する民主主義の起源でもあった。貴族など特定の階層に特権を認めるのではなく、すべての人々に等しくチャンスを与える自由競争が重視された。財産権とは何よりも国王による恣意的な課税から自由を守る制度であり、法学者だったスミスは財産権の保護こそ社会の基礎だと強調した。

このように「自然に対するゲーム」においても「人間に対するゲーム」においても、独立した個人を主体と考え、彼らの利益の集計が社会の利益だと考える啓蒙思想は、18世紀の西欧で初めて成立した。それは大陸ではフランス革命のように急進的な形をとったが、イギリスでは立憲君主制という形で漸進的に改革が進んだため、技術的成果の多くはイギリスで実用化された。

本書が強調しているのは、イノベーションにとって重要なのは技術ではないということだ。技術だけなら同時代の中国(清)のほうがはるかに進んでいたが、その政治体制が個人の独立をさまたげ、技術が産業に応用されなかったため、知識人の遊びに終わった。成長にとって大事なのは、「有用な知識」をビジネスに応用してもうける起業家であり、彼らを支えたのはキリスト教から自立して世俗化したイギリスの市民社会だった。

日本がいま直面しているのも、個人の自立というスミス的問題である。古い秩序から個人が独立することはきわめてリスクの大きい試みであり、それを妨害する力も強い。産業革命期の起業家を支えたのは、キリスト教を批判する啓蒙の精神だった。今の日本に欠けているのは、「日本教」から自立する精神かもしれない。