今年はいろんなものが終わった年だが、もう終わったのに死にきれないのがマスコミだ。特に、けさ話題になっている産経の記事は、あまりにも拙劣なでっち上げである。

見出しには「仙谷氏『専業主婦は病気』と問題発言か」とあるが、記事の本文で仙谷氏は「専業主婦に家庭の運営を任せておけばいいという構図を変えなかったことが、日本の病気として残っている」と発言している。病気なのは専業主婦ではなく日本であり、彼の発言は常識的なものだ。本文と矛盾する見出しをつける産経の整理部は、頭がおかしいのではないか。

最後に「雑誌『正論』2月号で高崎経済大の八木秀次教授が指摘した」と書いてあるので検索してみると、便利なことにその記事をコピペしたブログ記事があった。それによれば、八木氏は「『こども園』は羊の皮をかぶった共産主義政策だ」という記事でこう書いているそうだ。
この(仙谷氏の)認識の下では現状の保育時間は短く、主として専業主婦の子供たちが通う幼稚園は邪魔以外の何ものではない、幼稚園は消滅させなければならない存在だ。[・・・]この認識にはマルクス主義の労働価値説やエンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』の思想が影響を与えていることは間違いない。
八木氏は、明らかに『家族・私有財産・国家の起源』を読んでいない。この本にはこんなことは書いてない。誰も読んでいない本を引き合いに出して「共産主義政策」というレッテルを貼れば否定できると思い込んでいる彼や産経のような右翼こそ病気である。

鈴木亘氏も指摘するように、「こども園」は実質的な幼稚園の保育所化であり、幼児教育を全面的に国有化する(八木氏とは違う意味の)「共産主義政策」である。それが間違っているのは専業主婦を排除するからではなく、待機児童の問題を解決できないからだ。人口減少時代に貴重な女性労働力を確保することは最重要の政策であり、働く女性を「変則的な存在」とみて配偶者控除さえやめられない民主党政権がおかしいのだ。

ところが八木氏のような家父長主義者にとっては、男に従属する専業主婦が日本の美しい伝統とみえているらしい。元の講演で仙谷氏もいうようにそんな話は幻想であり、「専業主婦というのは、日本の戦後の一時期、約50年ほどの間に現れた特異な現象」である。右翼の特徴は明治時代を「日本の伝統」と同一視することだが、江戸時代に専業主婦がいたかどうか考えれば、それが伝統かどうかわかるだろう。

「派遣労働を禁止しろ」と主張する朝日新聞のようなレガシー左翼も困ったものだが、こんなナンセンスな論評を孫引きして「専業主婦は病気」という失言問題に仕立てようという産経の卑しさは末期的である。経営も崖っぷちだから、品質管理に手を抜いているのだろう。三橋某の「インフレになったら労働者の給料が上がる」という話を載せたのも産経だ。

日本の政党にまともな政策の対立軸ができないのは、左翼がだめになる一方で、保守もこのように劣化して「武士道」やら「大東亜戦争」などという老人の子守歌ばかり繰り返しているからだ。しかしそういう世代も80を超えて、市場は先細りである。まず最初に消えゆくべきなのは、産経や八木氏のようなレガシー右翼だろう。