hirano第2次菅内閣は、予想どおり「小沢排除」色の濃いものになった。きのうはライブドアのインタビューで、小沢一郎氏の側近として知られる平野貞夫氏(元参議院議員)に話を聞いた。

注目される小沢氏の動向については「しばらくは様子見だ」といっていた。「今回はグループに押される形で無理して(勝算なしで)出たので、負けたら干されることは覚悟の上だった。党を割るとか新党をつくるとかいうことは考えていないと思う」とのことだった。国会議員だけなら勝てたが、今回は党員・サポーター投票があったので、世論調査を見た中間派が勝ち馬に乗ったという。

小沢氏が停滞した政治を「壊す」ことが期待されているのは誤解で、彼は自分から党を壊したことはないという。1997年末に新進党を解党したのは、公明党の内部事情だった。この経緯については平野氏の『平成政治20年史』にくわしいが、大事なことなので説明しておこう。

当時の新進党は参議院会派の「公明」と合流する予定だったが話がつかず、1998年の参院選は公明が独自で戦うことになった。そのため新進党の旧公明党グループ18人が公明に合流することになったが、離党すると政党助成金が得られないので、年内に新進党を解党して旧公明党グループが独自会派をつくる手続きが必要だった。だから解党は一時的な手続きで、新会派ができたら新進党は再結成する予定だった。

ところが、その手続きの最中に旧民社党系などが分裂し、再結成の話し合いができなくなった。12月27日に開かれた両院議員総会で、小沢党首が「すべて私の責任だ」といって解党の経緯を説明しなかったため、党内が混乱して新党が乱立し、小沢氏も自由党をつくらざるをえなくなった。それを平野氏が「純化する」と記者に説明したため、小沢氏が二大政党路線を放棄したかのような印象を与えたが、実はそういう意図はなく、新進党の解党はアクシデントだったという。

もともと党内で「反小沢感情」が高まっていたので、小沢氏も嫌気がさしていたのだろうが、解党はいかにも唐突で、岡田克也氏が党大会で「納得できない」と批判するなど、政治が混乱する原因になった。この結果できた自由党は54人の小党になってしまい、そのあと自自連立などの迷走を続け、最終的には労組を母体にする民主党と合流して、90年代に小沢氏のめざした方向とは逆の社民政党になってしまった。

平野氏は、小沢氏と労組との関係については「戦術的なものだ」といっていたが、正社員の既得権を守るための組織を政権の基盤にしたままでは、労働市場改革や公務員制度改革などの最大の課題に取り組むことはできない。このような党内の「ねじれ」を生んだ遠因も、新進党の解党だった。これを解決するには、もう一度、政界再編するしかないが、新政権にはそういう腕力はない。自民党も弱腰で解散に追い込むほどの力はないので、しばらくは政治の混迷が続くだろうというのが平野氏の見立てだった。